ダンスバトルで相手のラッキーまで喜べる人が一番強い理由

ダンスバトルで相手に集まった幸運な流れを喜びながら自分の足で立つ子どもを描いたイラスト

ダンスバトルを見ていたら、相手にだけええ流れが来る瞬間ってあるやろ?

相手が欲しかった展開になる。会場が一氣に湧く。自分より先に、相手へラッキーが転がっていく。

その時、みんなの中にはどんな言葉が出てくる?

  • うわ、相手ばっかりええな
  • なんで今、そっちに行くねん
  • こっちはツイてないわ
  • このまま負けたらどうしよう

この氣持ちは悪くない。勝ちたいと思ってバトルに立っているんやから、相手に有利なことが起きたら心が揺れるのは自然なことなんよ。

やる氣がないわけでも、器が小さいわけでもない。

でも、俺はここに一つ、めちゃくちゃ大きい落とし穴があると思う。

相手にラッキーが来た瞬間、「最悪や」と思ったら、まだ踊ってもいないのに、自分の時間を相手へ渡し始めることがある。

俺が元音声で話していたのは、きれいなスポーツマンシップの話だけちゃう。

「相手を褒めましょう」「相手の成功を喜びましょう」

それも大事やけど、今日ほんまに話したいのは、もっとバトルの中にある身体と心理の話。

相手のラッキーまで一緒に喜べる人には、心理戦が効かない。だから、こういう人が一番怖いし、ほんまに強い!

相手にええことが起きても、自分の呼吸が変わらへん。会場が相手へ湧いても、自分の足が地面から離れへん。勝ち負けが動いても、自分の時間を失わへん。

これ、意味分かるかな⁇

相手の幸運を喜ぶ話を掘っていくと、最後は「自分は何を勝負しているのか」というところまで行く。

今日はそこまで、バトルの現場からつなげて話したい。

相手にええ流れが来ると身体が先に揺れる

相手に歓声が集まった瞬間に肩と足先が緊張する子どもの身体を描いたイラスト

相手にラッキーな展開が来た時、最初に変わるのは考え方だけやない。

身体が先に反応する。

さっきまで下がっていた肩が上がる。奥まで入っていた呼吸が浅くなる。床を踏んでいた足が、相手の動きや会場の声を追いかけ始める。

口では「大丈夫」と言っていても、身体はもう大丈夫じゃなくなっていることがあるんよ。

バトルって、相手の技だけを受ける場所ちゃう。相手の表情、声、立ち方、観客の反応、順番、偶然に起きた流れまで、全部が自分へ入ってくる。

音が鳴る前から、もう揺らし合いは始まっている。

俺は「氣合い」を、声を出して無理やり強く見せることやとは考えてへん。

身体、思考、感情、覚悟、目的、場の空氣。その氣が合っている状態が、俺の考える氣合いなんよ。

相手にラッキーが来た時、「最悪や」と思った頭と、平氣なふりをする顔と、本当は逃げたい足がバラバラになったら、氣は合わなくなる。

要は、不調和。

反対に、「おお、ラッキーやな!」と本氣で受け取れたら、身体を分裂させずに済む。

相手へ流れが来た。それは事実。ほな、その流れがある場で、自分はどう踊る?

問いがそこへ戻る。

強い人は揺れへん人やない。揺れた瞬間に、自分の身体へ戻ってこられる人。

相手のラッキーを喜べるというのは、感情を消すことちゃう。揺れた自分を見て、また自分の場所へ立つことなんよ。

「最悪や」と言った瞬間に相手のゲームへ入る

相手の幸運を見て漏らした否定的な言葉が自分の身体へ戻り緊張を生む様子を描いたイラスト

俺は言葉を、ただの音やとは思ってへん。

自分が出した言葉を、一番近くで最初に浴びるのは自分やから。

相手にええ流れが来た時、「最悪や」と言う。誰かへの文句に見えて、最初にその言葉を受け取るのは自分の耳、自分の心、自分の身体なんよ。

すると身体は、「今は最悪な状況や」と受け取る。

肩は守りに入る。呼吸は小さくなる。視線は相手のミスを待ち始める。自分が踊るためのエネルギーを、相手の流れを嫌うことへ使ってしまう。

まだ勝敗は決まってへんのに、言葉で先に自分を不利な場所へ置く。

何言うてんねん!って話やろ?笑

もちろん、何でも前向きな言葉に変えたらええという薄い話でもない。

悔しい時は悔しい。怖い時は怖い。腹が立つ時かてある。

でも、その感情を持ったまま、「俺は今、相手の流れに自分の状態まで決めさせようとしてへんか」と見られるかどうか。

ここが大事!

俺なりに言うなら、自分の観測者で在るということや。

外で起きたことを見る自分。内側で揺れた氣持ちを感じる自分。その両方をもう一人の自分が静かに見る。

「あ、俺、今めっちゃ取られたと思ったな」

「相手がラッキーやっただけやのに、自分の価値まで下げようとしたな」

ここまで見えたら、選び直せる。

相手のラッキーは相手の出来事。そこから自分を最悪にするかどうかは、自分の選択なんよ!

相手のゲームへ入ったまま踊るのか。自分の時間へ戻るのか。その分かれ目は、ほんまに小さい一言から始まる。

相手を喜ぶことは勝ちを譲ることではない

相手の良い流れを認めながら本気で向き合う二人の子どものダンスバトルを描いたイラスト

ここまで読むと、「相手を喜んでいたら、勝ちたい氣持ちが弱くなるんちゃう?」と思う人もおるやろ。

これ、めちゃくちゃ大事な疑問やと思う。

バトルは勝敗を決める場所や。どっちかが勝って、どっちかが負ける。相手と同じ結果をもらうゲームちゃう。

せやから、勝ちたいと思ってええ。

勝ちに行ってええ。

自分の全部を出して、相手を越えに行ったらええ!

相手のラッキーを喜ぶことと、勝ちを譲ることは全然ちゃう。

むしろ、相手にええ流れが来ても「ほな、ここからもっと面白くなるやん」と立てる人の方が、勝負から逃げてへん。

相手の幸運を否定せな自分を保てへん状態は、相手の調子が落ちることへ自分の勝ちを預けている。

相手が失敗したら安心する。会場が静かになったら動ける。自分に有利な順番なら力を出せる。

それでは、自分の強さを相手へ預けすぎなんよ。

相手を喜ぶとは、「勝ってください」と譲ることやない。「その最高の状態ごと来い」と受け取ること。

強い相手が最高の流れに乗っている。会場も湧いている。そこで自分も最高の踊りを出す。

それができたら、バトルは一氣に面白くなる。

勝ちたい氣持ちは持ったままでええ。ただ、その欲に首をつかまれて、相手のラッキーを憎むところまで行かんでええ。

勝つために相手を小さくせなあかんのなら、その勝ち方は自分の器まで小さくしてしまう。

自分も出す。相手も出す。出し切った二人が同じ場所に立った時、勝敗以上に残るものが生まれる。

ここやねん!

心理戦が効かない人は自分の時間を失わない

相手の強い視線と会場の熱を受けても自分の呼吸と足元を保つ子どもを描いたイラスト

バトルでは、相手を揺らすような場面がある。

強い目線を向ける。会場を味方につける。自信のある立ち方をする。相手の反応を見て、次の一手を変える。

これもバトルの面白さやと思う。

技術だけを並べるんやなく、相手との間に何が起きるか。どんな空氣を作るか。そこまで含めて一つの表現になる。

でもな。

相手が何をしても、「うわ、ええやん!」「ラッキーやな!」と受け取って、自分の呼吸へ戻ってくる人がおる。

こういう人が一番怖い。

目線を送っても、怖がらせようとしても、会場が相手側へ湧いても、自分の中の音が消えへん。

相手のラッキーさえ、俺は嬉しい。そうやって一緒に喜べる人には、心理戦が全く効かない。

なぜなら、その人は相手の失敗を待ってへんから。

相手が最高でも、自分の時間を始められる。相手が予想外のことをしても、それを新しい材料として受け取れる。

勝負の主導権を、相手の状態へ渡してへんのよ。

心理戦が効かないとは、相手を無視することやない。相手を全部見た上で、自分の時間を失わへんこと。

これは無関心とは真逆やで。

相手をちゃんと見る。すごいものは、すごいと感じる。会場の空氣も受け取る。そこまで開いているのに、自分の根っこまで抜かれへん。

硬い石みたいに何も感じへん強さやない。

風を受けても折れず、また自分の場所へ戻る木みたいな強さ。

柔らかいのに、強い。

俺は、ほんまの強さってこっちやと思う。

ラッキーを奪われたと見るか場が面白くなったと見るか

一人に集まった幸運な流れがダンススタジオ全体へ広がり二人を包む様子を描いたイラスト

同じ出来事でも、どこから見るかで身体に入ってくる意味が変わる。

相手にラッキーが来た。

「自分の分を奪われた」と見るのか。

「この場に面白い流れが来た」と見るのか。

外で起きた事実は同じでも、受け取る世界が全然ちゃう。

自分の分を奪われたと思った瞬間、世界は取り合いになる。相手が得した分だけ、自分が損をしたように感じる。

すると、相手の喜びが自分への攻撃に見えてくる。

でも、「この場が面白くなった」と見られたら、相手のラッキーも自分が踊る場の一部になる。

観客が湧いた。空氣が動いた。みんなの目が集まった。

ほな、その動いた場へ自分は何を出す?

この問いに変わる。

俺は人生も、自分一人で成り立っているとは思ってへん。

相手がおる。音をかける人がおる。見てくれる人がおる。場所を作る人がおる。今日まで練習を支えた人がおる。

全部、お陰様なんよ。

お陰様というのは、きれいに「ありがとう」を言う作法だけちゃう。自分の一歩が、自分だけでは起きてへんという構造を見ることやと思う。

相手のラッキーが場を動かしたなら、その動いた場で踊れる自分も、すでに何かを受け取っている。

こう考えると、相手の幸運を喜ぶことは、自分を消す行為やなくなる。

相手が起こした流れを受け取り、自分の踊りで次へ返す。バトルが二人だけの取り合いから、場全体で出来事を作る時間へ変わる。

面白いやろ⁇笑

ラッキーは誰か一人のポケットで終わらず、受け取り方によって場全体へ巡っていくんよ。

勝ちたい氣持ちを持ったまま場を楽しむ

勝ちたい気持ちを持ちながら予想外の動きを笑顔で返し合う子どものダンスバトルを描いたイラスト

俺は「勝ちたい」という欲を、なくした方がええとは思ってへん。

勝ちたいから練習する。負けて悔しいから、もう一回やる。あの人を越えたいから、できへん動きにも向き合う。

欲は、人を動かすエネルギーにもなる。

問題は、欲があることやなく、その欲に自分が引っ張られ続けることなんよ。

勝ちたい、勝ちたい、勝ちたい。

頭の中がそれだけになったら、音を聞く余白がなくなる。相手と遊ぶ余白がなくなる。会場で起きた予想外を面白がる余白がなくなる。

勝つために立ったはずが、勝敗を怖がるだけの30秒になる。

それ、もったいなさすぎるやろ!

本氣と苦しそうな顔は、同じちゃう。

本氣とは、自分で決め、今の自分を認め、結果がまだ見えへん中でも続けることやと思う。

本氣やからこそ、目の前の場を全部使える。相手にええことが起きても、「おお、そう来たか!」と遊べる。

楽しいから本氣になるだけやない。

本氣でその場へ入っているから、予想外まで楽しくなる。

勝ちたい氣持ちは前へ進む火にしたらええ。相手を嫌う火にせんでええ。

勝敗は大事。せやけど、勝敗しか見えへん状態になったら、自分が今日この場で受け取れるものを減らしてしまう。

勝っても負けても、相手のラッキーまで含めて、この一回を面白くする。

そんな人の顔には、戦っているのに遊んでいる余裕が出る。

その余裕は、手を抜いているから出るんちゃう。

勝敗より大きい場所に立っているから出るんよ。

相手の幸運を喜べる身体は普段から作る

レッスンで仲間の良い踊りを喜びながら自分の悔しさも受け止める子どもたちを描いたイラスト

本番になって急に、「今日から相手のラッキーを喜ぼう」と思っても、身体はなかなか変わらへん。

人に見られて、勝敗がかかって、会場が湧いている時ほど、普段の反応が出るから。

せやから、これは日常の練習なんよ。

レッスンで仲間が先にできた時、どんな顔をしているか。自分が選ばれへんかった時、どんな言葉を出すか。誰かが褒められた時、自分の身体が小さくなってへんか。

そんな小さい場面に、バトルの根っこがある。

  • 仲間のええ動きに、先に声を出す
  • 自分が悔しい時も、相手の良さを一つ見る
  • 「取られた」と感じた瞬間の呼吸に氣付く
  • そのあと、自分の今日の一回へ戻る

形だけ拍手したらええという話ちゃうで。

心では嫌やと思っているのに、ええ人に見られたくて笑う。それでは身体の中がまたバラバラになる。

最初は悔しくてええ。

「めっちゃ悔しい。でも、今のはほんまに良かった」

二つの氣持ちは、同時にあってええんよ。

愛というと重たく聞こえるかもしれへんけど、俺は受けいれる心、認める心も愛やと考えている。

相手を認めたから、自分が負けるんちゃう。相手を認められる器が広がった分、自分も大きいエネルギーを受け取れるようになる。

相手を小さくせず、自分も小さくしない。両方を立たせられる器を、普段の一回から育てる。

これができるようになると、バトルで相手にラッキーが来た時も、無理に考え方を変えんでよくなる。

身体がもう知っている。

「相手が光っても、俺の火は消えへん」

この状態が、ほんまに強い。

親は勝敗より揺れた後に戻る力を見てほしい

相手に流れが来た後で呼吸と足元を戻す子どもを保護者が静かに見守る様子を描いたイラスト

子どものバトルを見ている親も、相手にええ流れが来たら心が揺れると思う。

「うちの子にも、あの流れが来てほしかった」

「なんで今回は相手ばっかり」

大切な子どもが出ているんやから、そう感じるのは当たり前や。

まず、その氣持ちを責めんでええ。

ただ、親の表情や言葉は、思っている以上に子どもへ入る。

終わった瞬間に「あれは相手がラッキーやったな」と言えば、子どもは自分の踊りより先に、外の条件を振り返るかもしれへん。

逆に、何でも「相手を褒めなさい」と言えば、自分の悔しさを隠すかもしれへん。

俺が見てほしいのは、きれいに振る舞えたかだけちゃう。

相手に流れが来た瞬間、子どもの身体はどう変わったか。肩が上がったか。目線が落ちたか。それでも音へ戻れたか。次の一歩を自分で選べたか。

今日の100点は、勝ったか負けたかだけでは決まらへん。

めちゃくちゃ揺れたけど、最後の八拍で自分へ戻れた。それも今日の100点かもしれへん。

悔しいままでも、相手の一つを「すごかった」と言えた。それも大きい一歩や。

親が見つけたいのは、揺れなかった子どもやない。揺れたあと、自分の場所を探し直した子ども。

声をかけるなら、答えを先に渡さんでもええ。

「相手にええ流れが来た時、身体はどうなった?」

「そのあと、自分へ戻れた瞬間はあった?」

そんな問いなら、子どもは外のラッキーだけやなく、自分の内側で起きたことを観測し始める。

大人が勝敗の外側まで見られたら、子どもも一回の結果に全部を決められずに済むんよ。

獅子会で伝えたい本当に強い人の正体

相手を小さくせず互いの火を保ったまま自分の最高を出す二人の子どもを描いたイラスト

獅子会でダンスバトルを扱うのは、勝ち負けをどうでもええものにしたいからちゃう。

勝ちたいなら、本氣で勝ちに行ったらええ。

負けて悔しいなら、その悔しさを次の練習へ持っていったらええ。

でも、勝敗だけに自分の状態を握らせたらあかん。

相手にラッキーが来た。会場が相手へ湧いた。自分には思い通りじゃない流れが来た。

その時に、「最悪や」と自分の火まで消すのか。

「ラッキーやな!ほな、ここからもっと面白くしよう」と、自分の火を持ったまま相手の火も喜べるのか。

俺が伝えたい強さは、後者なんよ。

本当に強い人は、自分に有利な時だけ笑える人やない。相手の最高まで受け取って、それでも自分の最高を出せる人!

技術が高いことも大事。勝つための戦略も大事。何度も本番へ出て経験を重ねることも大事。

せやけど、それらを受け取る器として、自分がどんな状態で在るか。

ここが先なんよ。

為せば成る、だけでは足りへん。

在れば成る!

相手を嫌わんと立てる。相手を小さくせんと、自分も立てる。場の流れを受け取りながら、自分の足で踊る。

そんな在り方に触れた子どもは、バトルの勝敗だけやなく、人生で誰かにええ流れが来た時も、自分の火を消さずにいられる。

誰かの成功を見て、自分は終わったと思わんでええ。

誰かのラッキーを一緒に喜びながら、自分の今日の一歩を続けたらええ。

何に触れるか。どこに身を置くか。誰と勝負し、誰と喜ぶか。

その積み重ねが、身体の中に強さを作っていく。

はい。

相手のラッキーまで喜べる人が、一番怖い。

そして、一番強い!

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