子供のダンスが見たままでは伸びない理由

獅子会のSHIGE_SDSです。
みなさん、子どもに「今の踊り、どう見えた?」って聞いた時に、見たままのことだけ返ってくることないですか?
- 足が内側に入っていた。
- 手が下がっていた。
- 普通に立っていた。
- 先生と形が違った。
これは悪くない。まず事実を見られることは大事やと思う。足がどうなっているか、手がどこにあるか、身体の向きがどうか。そこを見られないと、修正もできない。
でもな、表現で大事なのは、その先なんよ。
俺が聞きたいのは、足が内側に入っていたという事実だけではない。その立ち方を見て、どう感じたのか。
ぼやっとしてるのか。弱そうなのか。強そうなのか。重そうなのか。軽そうなのか。しっかりしているのか。だらしなく見えるのか。
ダンスは、見たままを言うだけではなく、感じたことまで見られるようになると変わる。
ここやねん。
今日は、子供のダンスが見たままでは伸びにくい理由を、形、感想、表現、親の見方までつなげて話していく。
見たままは事実、感想は感じたこと
レッスンで、子どもに「これどう思う?」と聞くことがある。すると、「足がこうなってる」と返ってくる。
それは間違いではない。事実としては合っている。
でも俺が聞いているのは、そこだけではない。
足がこうなっている。その結果、どう見えるのか。どう感じるのか。そこまで見てほしいんよ。
感想というのは、適当に褒めることではない。雰囲気で言うことでもない。自分が受け取った感じを言葉にすること。
ここを分けられるようになると、ダンスの見方が変わる。
「足が内に入っている」は事実。「ぼやっとして見える」は感想。この二つは似ているようで違う。
事実だけで止まると、ダンスは答え合わせになる。合っているか、間違っているか。できているか、できていないか。
でも感想まで見えると、表現になる。どう見せたいのか。どう感じさせたいのか。ここへ進める。
形から何を感じるかが表現の入口

同じ立ち方でも、感じ方は変わる。
膝の向きが少し変わる。手の位置が変わる。顔の角度が変わる。目線が変わる。それだけで、見ている人が受け取るものは変わる。
これ、ほんまに面白い。
足の形だけ見ていたら、「内股」「外向き」「真っ直ぐ」くらいで終わる。でも、そこから感じるものを見ると、言葉が増える。
- ぼやっとして見える。
- 強そうに見える。
- 軽そうに見える。
- 重心があって、ちゃんと立っているように見える。
この言葉が増えるほど、子どもは自分で選べるようになる。
強く見せたいなら、どんな立ち方をするのか。軽く見せたいなら、どこを抜くのか。ぼやっと見せたくないなら、足元や目線をどうするのか。
形を直すことは大事。でも、何のために直すのかがないと、ただの修正で終わる。
「こう見えるから、こう変えたい」。ここまで行くと、その子の踊りになっていく。
同じポーズでも、角度一つで全然ちゃう

レッスンでは、一つのポーズだけでも見方を変える。
足の置き方。膝の角度。手の位置。顔の向き。ほんの少し変えるだけで、急に雰囲気が変わる。
同じ足の形でも、手が下がっているだけで重く見えることがある。顔がついていないだけで、ぼやっと見えることもある。
逆に、ほんの少し角度が合うだけで、キュッと見える。スタイリッシュに見える。強そうに見える。
だから、俺は子どもに「形だけ覚えろ」とは思っていない。
形を覚えた上で、その形が何を感じさせるのかを知ってほしい。
ここが分かると、ワンステップの重みが変わる。
一歩踏む。戻る。止まる。顔を上げる。たったそれだけでも、見ている人に届くものが変わる。
同じ形やのに、なんか違う。
この「なんか」を見られるようになる。
それが表現の入口やと思う。
この「なんか」を雑に扱わないこと。
ダンスは、その「なんか」の積み重ねで人の心に残る。
感想の言葉が増えると、踊りを選べる

子どもの表現を育てる時に、俺は感想の言葉を増やすことが大事やと思ってる。
かっこいい。すごい。上手い。これだけでも悪くない。でも、それだけやと粗い。
もっと細かく見る。
- 重いけど強い。
- 軽いけど薄くない。
- 静かやけど存在感がある。
- 速いけど雑に見えない。
- 力を入れていないのに、氣合いが入っている。
こういう言葉が増えると、子どもは自分の踊りを選べるようになる。
自分は今、強く見せたいのか。軽く遊びたいのか。相手に圧をかけたいのか。余韻を残したいのか。
それを選ぶには、まず感じ方の引き出しが必要なんよ。
見たままの事実だけでは、選べる幅が少ない。足が内に入っているから直す。手が下がっているから上げる。それだけになる。
でも、「この手の下がり方は重く見える」「この角度はぼやける」「この目線は相手に届く」と感じられたら、修正が表現になる。
これは、センスだけの話ちゃう。育てられる力やと思ってる。
見る力は、足元と真ん中から育つ
感じる力の話をすると、急に感性だけの話に聞こえるかも知れへん。
でも、俺の中では身体の話でもある。
足がどこにあるか。自分の真ん中がどこか。重心がどこに乗っているか。そこが分かってくると、見方も変わる。
自分の真ん中が分からないまま見ていると、何がズレているのか分かりにくい。
でも、自分のゼロが分かってくると、「今ちょっと気持ち悪いな」「ここに足があるとぼやけるな」と感じられるようになる。
この気持ち悪さに氣づけることが大事。
見えない線がある。自分の中心に細い道がある。そこからズレた時に、身体が「あれ?」と感じる。
だから獅子会では、見る力を育てる時も、足元や立ち方から入る。
目だけで見ているようで、実は身体でも見ているんよ。
これができてくると、鏡がなくても分かる。人に言われなくても、少しずつ自分で戻れるようになる。
鏡だけを見ると、感じる力が薄くなる
鏡は便利や。形を確認できる。先生と比べられる。足がどこにあるかも見える。
でも、鏡だけに頼ると、自分の身体で感じる力が薄くなることがある。
鏡では合っているように見える。でも、足裏では感じていない。目では追っている。でも、自分の中では分かっていない。
これが起きる。
向かい合って練習すると、鏡と違う難しさが出る。左右が逆になる。相手を見ながら、自分の身体へ置き換えないといけない。
最初は混乱する。でも、それがめちゃくちゃ良い練習になる。
なぜかというと、ただ映った形を真似するのではなく、自分の身体で理解しようとするから。
見えている。
でも、分かっていない。
分かっている。
でも、身体に入っていない。
こういうズレが見えるようになる。
見る力は、目だけの力ではない。身体へ置き換える力。感じたものを自分の中で動かす力。
ここが育つと、ダンスは立体的に見えてくる。
感じることは、決めつけることではない
ここで一つ、間違えてほしくないことがある。
「ぼやっとして見える」「強そうに見える」「軽そうに見える」と言うと、子どもを決めつけているように聞こえる人もいるかも知れへん。
でも、俺が言いたいのはそういうことではない。
その子自身を決めつけるのではなく、その瞬間の形や状態から何を受け取ったのかを見るということ。
人そのものを「だらしない」と決めるのは違う。でも、その立ち方が「だらしなく見える」ことはある。人そのものを「弱い」と決めるのは違う。でも、その目線や足元が「弱く見える」ことはある。
ここを分ける。
これができると、注意の仕方も変わる。
「あなたはダメ」ではなく、「今の立ち方やと、ぼやっと見えるな」。これなら、子どもは変えられる。自分自身を否定されたわけではなく、今出ている状態を見られたから。
状態は変えられる。
ここが大事なんよ。
在り方の話をしているけど、それは性格を決めつける話ではない。今の状態に氣づいて、自分で整えていく話。
だから、感想を持つ力は、子どもの可能性を閉じるためではなく、むしろ開くためにある。
親が見る場所が変わると、子どもの表現は育つ

親御さんが子どものダンスを見る時、できたかどうかは分かりやすい。
振りを覚えた。音に合った。止まれた。技が成功した。もちろん、それも大事。
でも、表現を育てるなら、もう少し違う見方も持ってほしい。
- 今の立ち方は、どう見えたか。
- 前より、ぼやっとした感じが減ったか。
- 自分のかっこよさを探そうとしているか。
- 見たままではなく、感じたことを言おうとしているか。
これは、すぐ点数にしにくい。でも、めちゃくちゃ大事。
親が「できたね」だけでなく、「今の方がしっかり見えたな」「その立ち方、強く見えたな」と言えるようになると、子どもは自分の表現を見始める。
ただ褒めるためではない。身体の現在地を一緒に見るため。
結果だけで見られると、子どもは結果に寄る。感想まで見てもらえると、子どもは自分の中身を見始める。
そこから、踊りは変わる。
獅子会で伝えたい見る力の正体
獅子会で伝えたい見る力は、ただ細かくチェックすることではない。
足がどう。手がどう。角度がどう。それも大事。でも、そこだけでは終わらない。
俺が伝えたいのは、形から何を感じ、その感じをどう表現へ変えるかということ。
事実を見る。感想を持つ。身体で確かめる。もう一回踊る。
この繰り返しが、子どもの踊りを育てる。
為せば成る。この言葉も大事。でも俺は、獅子会ではこう言ってる。
在れば成る!
自分の中に感じる基準が在る。自分のゼロが在る。見たものを身体に戻せる場所が在る。
だから、踊りが変わる。
子どもが本当に変わる時って、派手な技が増えた時だけちゃう。
見たままではなく、感じたことを言えるようになった時。形から印象を受け取れるようになった時。自分の立ち方がどう見えるかに氣づいた時。
そこから、踊りは変わる。
何に触れるか。どこに身を置くか。誰と出会うか。
獅子会という場で、子どもたちには、そういう見る力と感じる力に触れてほしいと思ってる。
全部、お陰様。
SHIGE_SDS
