子供のダンスが踊る前の立ち姿で変わる理由

踊る前の立ち姿に今の状態が出ることを描いたキッズダンスのイラスト

獅子会のSHIGE_SDSです。

みなさん、子どもがダンスを踊る時って、つい見えるところばっかり見てしまうことありませんか?

  • 振り付けを覚えているか。
  • 技ができているか。
  • 音に遅れていないか。
  • 足の形が合っているか。

これは悪いことちゃう。むしろ、見えるところから気になるのは自然やと思う。できた、できてない。合ってる、合ってない。そこは分かりやすい。

でもな、俺はここに一つ落とし穴があると思ってる。

ダンスは、音が鳴ってから始まるものやと思われがちやねん。ステップを踏んだ瞬間、手が動いた瞬間、そこからダンスが始まるように見える。

でも俺の定義では、少し違う。踊る前の立ち姿から、もうダンスは始まっている

足の向き。身体の重心。目線。呼吸。場に入っているか。自分の場所に戻ってこられるか。そこに、その子の今の状態が出る。

今日は、技の話ちゃう。姿勢をきれいに見せましょう、という表面的な話でもない。

俺が話したいのは、立ち姿という入口から、子どものダンスと身体の根っこがどう変わるか。ここやねん。

立つとは、自分の場所に在ること

レッスンで子どもたちを見ていると、音が鳴る前から分かることがある。その子が今、自分の身体に入っているのか。場を見ているのか。ただ順番を待っているだけなのか。

これ、ほんまに出るんよ。

立つ。この言葉を、ただ足で地面に乗ることやと思うと浅い。俺の中では、立つというのは自分の場所に在ること

在る。ここが大事。

無理やり強く見せることでもない。胸を張って偉そうにすることでもない。自分の足で地面を感じて、自分の中心に戻って、今ここにちゃんといる状態。

立ち姿は、形ではなく状態なんよ。

この状態ができている子は、音が鳴る前から空気が違う。静かでも、そこにいる。力んでいないのに、ちゃんとある。

逆に、どれだけ元気に見えても、身体の中がバラバラやと、立ち姿がぼやける。これは根性の話ちゃう。状態の話やねん。

氣合いは入れるものではなく、合っている状態

自分のゼロに戻る足元の感覚を描いたキッズダンスのイラスト

氣合い入れろ。よく聞く言葉やと思う。でも俺は、ここも少し違う定義をしてる。

氣合いは、無理やり入れるものではない。氣が合う。身体の氣、心の氣、目的の氣、場の氣、音の氣。それらがバラバラではなく、ちゃんと合っている状態。

それが俺の考える氣合い。

だから、踊る前に立っているだけでも、氣合いが入っている子は分かる。大声を出しているからではない。表情を作っているからでもない。

足元が合っている。目線が合っている。呼吸が合っている。場と自分が合っている。

氣合いはテンションではなく、エネルギーが調和している状態。

ここを飛ばして、技だけ増やしても、どこかでズレる。ズレるというのは、下手という意味ちゃう。

身体と思考と感情と目的が、まだ同じ方向を向いていないということ。だから獅子会では、まず立つところを見る。そこに、今のその子の氣が出るからやねん。

鏡に映る自分と、身体の中の自分

レッスン中に、「鏡に映っている人は自分やけど、ほんまの自分ではない」という話をした。

なんやそれ、ってなるかも知れへん。でも、これ大事なんよ。

鏡は便利や。形を確認できる。先生と比べられる。自分のズレも見える。ただ、鏡だけを見すぎると、自分の身体の中の感覚が薄くなることがある。

鏡では合っているように見える。でも、足裏では感じていない。目では追っている。でも、身体では分かっていない。

これが起きる。

そしたら、鏡がない場所で戻れない。バトルでも、ショーでも、普段の生活でも、ずっと鏡があるわけちゃう。

だから、自分の目で見て、自分の足裏で感じて、自分の中で「ここやな」と分かる必要がある。

鏡で合わせるだけではなく、自分の身体で戻ってこられるようにする。

この戻る感覚が、踊りを深くする。ちょっとズレた時に、「あ、気持ち悪い」と感じられるかどうか。

ここやねん。

器が広がると、立ち姿が変わる

身体の器が育つ片足バランスを描いたキッズダンスのイラスト

ヒップホップでも、ブレイキンでも、片足になる瞬間は山ほどある。ステップ、方向転換、体重移動、止まる瞬間、出る瞬間。

ほとんど、片足片足の連続。それなのに、両足で立っている時によろける。これ、面白いやろ??笑

片足で立てるようになると、両足で立つことの意味が変わる。片足になると、ごまかせない。股関節で支えられているか。足裏が地面を感じているか。上半身だけで耐えていないか。

全部出る。

俺はこれを、器の話やと思ってる。器。コップみたいなもんやな。

大きなエネルギーを受け取るには、器がいる。大きな場で踊るにも、器がいる。相手の圧を受けるにも、器がいる。

ダンスで言えば、自分の身体そのものが器

片足で立つ。戻る。もう一回立つ。音を聞く。呼吸を整える。地味やで。でも、効く。

器が育つと、立ち姿が勝手に変わる。

無理やり強そうに見せなくても、ちゃんと立っている子は分かる。もう、そこに出ているんよ。

自分のゼロに戻れるか

今回の素材で、俺が一番大事やと思ったのはここ。自分のゼロ。

ゼロって、何もないという意味ちゃう。むしろ逆。自分が戻ってこられる場所。ここから出て、ここへ帰ってくる場所。

自分のゼロを覚えること。

これがないままステップを増やしても、動きは散る。

チャールストンでも、ダウンでも、トップロックでも同じ。技の名前の前に、自分の真ん中があるか。

そこが大事。

真ん中がないと、動きはできているように見えても届きにくい。本人はめちゃくちゃ頑張っている。でも、見ている人に届かないことがある。

なんでか。発信元がぼやけているからやねん。

ここに戻る。
ここから出る。
ここが自分のゼロ。

この感覚が出てくると、ステップがただの形ではなくなる。足を置くたびに点ができる。点がつながって線になる。その線が、その子の踊りの道になる。

これ、人生も一緒やと思う。人に言われた正解だけ追いかけていると、どこかで迷う。でも、自分のゼロがある子は、ズレても戻れる。

在り方って、そういうことやと思ってる。

ぼやっとしていると感じ取れる子は伸びる

立ち方から受ける印象と表現の変化を描いたキッズダンスのイラスト

立ち方を見て、「足が内側に入っている」と言う。これは事実。でも、表現で大事なのはその先。

その立ち方を見て、どう感じるか。ぼやっとしてる。強そう。弱そう。しっかりしてる。重い。軽い。

この感覚が増えるほど、表現の幅は広がる。

形だけで見ていると、正解か不正解になる。でも、感覚で見られるようになると、「この立ち方やと、こう見えるんやな」が分かってくる。

すると、自分で選べるようになる。強く見せたい時。ゆるく見せたい時。相手に圧をかけたい時。遊びたい時。余韻を残したい時。

同じ足の置き方でも、膝の向き、手の置き方、顔の角度、目線で全然変わる。

ダンスは形ではなく、形から何を感じさせるか。

ここを子どものうちから感じられるようになると、ただ上手いだけではなく、見ている人の心に残る踊りになる。

上手いな、で終わらない。なんか残る。この「なんか」が大事なんよ。

歩くことも、もう練習になっている

歩くことも足裏の練習になることを描いたキッズダンスのイラスト

レッスンで、歩く時から練習やで、という話をした。これ、大げさに聞こえるかも知れへん。でも、ほんまにそう。

学校へ行く時、家で歩く時、スタジオに入る時。その一歩一歩で、足裏は地面に触れている。

その時に、足が内に入っているのか。ふわっと置いているのか。ちゃんと自分の真ん中に戻っているのか。普段の足の置き方は、踊る時に出る。

隠せない。だから、ダンスの練習はスタジオの中だけちゃう。

歩くことも、自分の足裏を知る練習なんよ。

もちろん、ずっと難しく考えろという話ちゃう。そんなん疲れる。笑

でも、ふとした時に見る。今、自分の足はどう地面についているのか。今、自分の重心はどこにあるのか。そうやって自分の身体を見るだけで、感覚は育つ。

これが「やってから、言え!」にもつながる。知識だけで分かったつもりにならない。実際に立つ。歩く。片足になる。戻る。

やってみて初めて、自分の身体が何をしているかが分かる。その積み重ねが、踊りの中で自然に出る。

親が見る場所が変わると、子どもの火は消えにくい

親御さんが子どものダンスを見る時、技ができたかどうかは分かりやすい。回れた。止まれた。振りを覚えた。音に合った。

もちろん、それも大事。でも、俺はもう少し奥も見てほしいと思ってる。

  • ズレた時に、自分で戻ろうとしているか。
  • 先生の言葉を、身体で試そうとしているか。
  • 鏡だけではなく、自分の足裏を感じようとしているか。
  • 立ち方から、少しずつ空気が変わってきているか。

これは、すぐ点数にしにくい。でも、めちゃくちゃ大事。

子どもは、結果だけで見られると、結果に寄る。成功したか。失敗したか。できたか。できなかったか。

もちろん結果も必要。でも、そこだけになると、火が小さくなる子もいる。ほんまは内側で変わっているのに、外側の結果だけで判断されるからやねん。

今日の100点は、完璧に踊ることだけちゃう。昨日より足元を感じられた。さっきより顔が上がった。鏡ではなく、自分の目で見られた。片足で少し粘れた。

それも、その日の100点。

子どもの火を消さない見る力も、獅子会では大事にしている。

大人が見る場所を変えると、子どもは自分の変化に氣づきやすくなる。そこから、また伸びるんよ。

獅子会で伝えたい立ち姿の正体

獅子会で伝えたい立ち姿は、ただ姿勢を良くすることちゃう。

きれいに立ちなさい、でもない。もっと奥。

俺が伝えたいのは、自分の中に戻る場所を作ること

自分の足で立つ。自分のゼロを知る。ズレた時に戻る。形から何を感じるかを見る。音を聞きながら、身体を整える。

これが、踊る前の立ち姿。

そしてこれは、在り方の話。

為せば成る。この言葉も大事。でも俺は、獅子会ではこう言ってる。

在れば成る!

成ろうとする前に、まず在る。氣合いを入れようとする前に、氣合いが入る状態を作る。技を増やす前に、自分の器を広げる。結果を求める前に、根っこを育てる。

この順番が大事なんよ。

立ち姿が変わるというのは、身体の根っこが変わり始めているということ。

子どもが本当に変わる時って、派手な技が一つできた瞬間だけちゃう。

立ち姿が変わった時。目線が変わった時。足元に戻れるようになった時。自分の身体に氣づいた時。

そこから、踊りは変わる。

何に触れるか。どこに身を置くか。誰と出会うか。

獅子会という場で、子どもたちには、そういう身体の奥にある学びに触れてほしいと思ってる。

全部、お陰様。

SHIGE_SDS

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