ダンスバトルで勝ちを譲る前に考えたい本当の優しさと敬意

親子のダンスバトルで互いを一人の相手として見つめる二人

「子供が相手やったら、勝たせてあげた方がええんかな?」

親子で踊る時。年齢差がある時。経験の浅い子とバトルする時。

そんなことを考える人はおると思う。

相手を喜ばせたい。悔しい思いをさせたくない。自信をつけてほしい。

その氣持ち自体は、たぶん優しさから出ている。

でもな。

「勝ちを譲ってあげる」と思った瞬間、自分はもう勝敗を動かせる側に立ってへんか?

ほんまは、まだ勝ってもいない。

相手がどんな踊りをするかも分からへん。自分が思うように踊れるかも分からへん。ジャッジが何を見るかも分からへん。

それでも「譲る」と考えた時、知らん間に相手を自分より下へ置いてしまうことがあるんよ。

これは「絶対に手加減するな」「年下でも叩き潰せ」という話ちゃうで。

安全も、体格差も、その場の目的も大事や。

せやけど、相手を守ることと、相手の力を先に決めることは別やねん。

俺が大事にしたいのは、勝敗をプレゼントすることやなく、その人とちゃんと向き合うこと。

優しさは、相手の可能性を先に決めんことや!

本氣で来てくれた相手に、自分も本氣で返す。

その上で、力の出し方やルールを考える。

それがバトルで相手へ渡せる、ほんまの敬意やと思っている。

「勝ちを譲る」には見えない上下が生まれる

高い台から勝ちを渡そうとする手と自分の足で立つ子供

「今日はこの子に勝たせてあげよう」

そう考えた時、自分の中ではもう一つの前提ができている。

自分が普通にやれば勝つ。自分が加減すれば相手が勝つ。勝敗は自分の手の中にある。

つまり、まだ始まってもいないのに、自分を上へ、相手を下へ置いてしまっているんよ。

もちろん、言っている本人に悪氣はない。

むしろ優しくしたいと思っている。

でも、人は言葉よりも「どう見られているか」を感じる。

本氣で来てくれているのか。形だけ付き合われているのか。失敗したふりをされたのか。

子供でも、そこはよう見てるで。

一回は勝って喜ぶかもしれへん。

けど、その喜びの奥に「ほんまに自分が勝ったんかな」という違和感が残ったら、勝ちの意味まで薄くなる。

逆に、相手がちゃんと向き合ってくれたと分かったら、負けても残るものがある。

あの一歩は通用した。ここでは反応された。次はもっとやれる。

勝負の中で、自分の現在地を受け取れるんよ。

優しさの形を見る前に、自分が相手をどこへ置いているかを見た方がええ。

「譲る」は柔らかい言葉や。

せやからこそ、その中に隠れている上下へ氣づかなあかん。

相手を小さく見たまま渡す一勝より、対等な一人として向き合う一回の方が、その人の先へつながる。

手を抜く前に自分はほんまに勝っているのか

始まる前の勝負を決めつけず互いの未知の動きを見つめる二人

勝負は、やってみな分からへん。

これ、当たり前のようで忘れやすい。

自分の方が年上。経験も長い。できる技も多い。普段の練習では自分の方がうまい。

それでも、その一回で勝つとは限らへん。

バトルには音楽がある。空氣がある。相手の状態がある。自分の身体も毎回同じちゃう。

一つの反応で流れが変わることもある。

せやのに始まる前から「勝たせてあげよう」と思うのは、自分が結果を完全に操作できると思っている状態なんよ。

その瞬間、勝負に立つ前の謙虚さが消える。

相手を見る目も浅くなる。

「どうせ自分が上やから」という前提で見たら、相手が出している面白さも、怖さも、成長も受け取れへん。

ほんまにもったいないで!

強い人は、自分の力を知っている。

同時に、勝負が自分の思い通りにならへんことも知っている。

せやから相手が誰でも、始まる前から結果を決めへん。

目の前に立った人を、今から何が起きるか分からない相手として見る。

勝ちを譲れると思った時ほど、自分はもう勝ったつもりになってへんかと問い直す。

この問いがあるだけで、立ち方が変わる。

相手を評価する前に、自分の思い上がりへ氣づける。

本氣は「俺は強い」と見せることやない。

分からない勝負へ、今の自分をちゃんと連れて行くことから始まるんよ。

相手が欲しいのは結果より本氣の向き合いや

本氣の一手を返し合い対等に向き合う大人と子供

勝たせてもらった一勝と、自分でつかんだ一勝。

結果表には同じ「勝ち」と書かれるかもしれへん。

でも、本人の中に残る感覚は全然ちゃう。

自分の動きに相手が反応した。勇氣を出して前へ出た。音を拾った瞬間に会場が動いた。

その積み重ねの先に勝ちが来たら、「自分にもできた」という実感になる。

この実感が、次の挑戦へ連れて行く。

ところが、相手がわざと反応を遅らせた。出せるものを隠した。失敗したふりをした。

それで勝っても、自分の何が通じたのか分からへん。

成功の理由が自分の中に残らへんのよ。

子供に自信をつけてほしい時ほど、勝ちという結果だけを急いで渡したくなる。

でも自信は、褒められた回数だけで作られるもんちゃう。

怖くても出た。できへんかったけど逃げへんかった。相手の本氣を受けても自分の踊りをやめへんかった。

そういう自分の事実を、自分で見つけた時に育つ。

本氣で向き合うとは、相手を負かすことやなく、相手の挑戦を本物として扱うこと。

負けたら悔しい。

その悔しさを全部なくしてあげることが、優しさとは限らへん。

悔しさを抱えても次へ進めるように、そばにいる。

何ができていたかを一緒に見る。

次に何を積むかを一緒に考える。

そこまで含めて向き合えたら、勝敗より深いものを渡せるんよ。

全力は相手を力で叩き潰すことちゃう

安全な距離を守りながら意識をそらさず全力で踊る二人

「ほな、年下にも最初から最後まで全開で行けってこと?」

そう受け取る人もおるかもしれん。

ちゃうちゃう!笑

全力と乱暴は別や。

自分ができる最大の技を全部ぶつけることだけが、本氣やない。

相手の体格、経験、その場の安全、バトルの目的を見る。

その上で、逃げずに向き合う。

これが大事なんよ。

例えば、身体が大きい大人が小さい子へ勢いのままぶつかったら危ない。

接触が起きる距離なら、強さを管理せなあかん。床の状態が悪ければ、技の選択も変えなあかん。

安全を整えることは手抜きちゃう。

相手を守りながら、自分の集中や反応や表現はごまかさない。

相手の一手をちゃんと見る。ええものには本氣で反応する。自分の番では、その場に必要な答えを返す。

全力とは、力の量を百に固定することやなく、意識を百にすることや。

ここを間違えたらあかん。

強い動きが必要な時は強く行く。静かな一音なら、静けさごと使う。相手が投げてきたものが面白ければ、その面白さへ本氣で返す。

身体だけ大きく動かしても、相手を見てへんかったら向き合ってない。

技を抑えていても、相手と場を全部受け取っていたら、本氣は伝わる。

氣合いは、声の大きさだけやない。

身体、思考、感情、覚悟、目的、場の空氣。

そこが一つに合っている状態や。

相手を壊さず、自分も隠さず、その場に合った最大の向き合い方を選ぶ。

それが大人の全力やと思う。

親子や年齢差がある時こそルールを先に整える

対戦前に二人が同じルールカードを確認する親子バトル

力の差がある時、何も考えず同じ条件でやればええわけでもない。

大人と子供。先生と生徒。経験者と初参加。

差が大きいなら、始める前にルールを整えたらええ。

大人は片手だけ使う。使える動きを一つに絞る。子供は二ラウンド、大人は一ラウンド。交互に同じ音へ答える。

いろんな作り方がある。

大事なのは、こっそり加減するんやなく、条件をみんなへ開いておくこと。

ルールが見えていたら、子供はその条件の中で本氣を出せる。

大人も、その条件の中で勝ちに行ける。

勝った時、「相手がわざと負けたんかな」と疑わんでええ。

負けた時も、「この条件ではここが足りなかった」と受け取れる。

学びの場なら、勝敗以外の目的を先に伝えてもええ。

今日は相手の動きを一回受け取る。今日は音の変化を三つ見つける。今日は最後まで目をそらさない。

目的が見えていれば、ただ勝たせるより成長が残る。

ハンデを隠すと上下になる。ルールとして開くと、二人が同じゲームへ立てる。

これが公平やと思う。

公平は、全員をまったく同じに扱うことだけやない。

違いを見た上で、どちらも本氣になれる場を作ること。

ルールを決める時は、最低でも四つ見たらええ。

  • 今日の目的は勝敗なのか、練習なのか
  • 接触や技の危険はないか
  • 制限が両方に見えているか
  • その条件で、どちらにも勝つ道があるか

最後の一つが特に大事や。

どれだけ工夫しても、最初から片方にしか勝つ道がなければ、それは勝負の形をした体験会になってしまう。

体験会が悪いわけちゃう。

目的が体験なら、最初からそう言えばええんよ。

でも勝負と呼ぶなら、両方に勝つ可能性を残す。

大人が足だけという条件でも、その足で本氣を出せる。子供も、自分の強みを使えば勝てる。

その交点を探すのが、場を作る側の腕やと思う。

そして、一度ルールを決めたら、その中では遠慮せんでええ。

大人も勝ちに行く。子供も勝ちに行く。

その方が、勝っても負けても気持ちええバトルになるで!

こっそり勝たせるより条件を開いて勝負する

公開された条件の中でどちらも本氣で勝負する二人

見えない手加減がややこしいのは、終わった後に確かめられへんことや。

「今の勝ち、ほんまやった?」

そう聞かれても、「もちろん」としか言われへん。

でも本人は、どこかで感じているかもしれん。

相手の目が本氣やなかった。いつもなら返してくるところで止まった。分かりやすくミスをした。

その違和感は、相手への信頼だけやなく、自分への信頼も揺らす。

せやから、調整が必要なら先に言う。

「今日は俺は足だけで行く。その代わり、足では本氣で勝ちに行くで!」

「一回目は練習。二回目はどっちも勝ちに行こう」

「今日は勝敗より、互いの動きへ三回返せた方を勝ちにしよう」

条件が言葉になった瞬間、手加減は約束に変わる。

二人で同じルールを持てる。

そこには、ごまかしがない。

真心というのは、なんでも優しい言葉にすることやない。

自分がどういう意図でそこに立つのかを、隠さず相手へ渡すことでもある。

何を制限するかは先に決める。でも、向き合う氣持ちは制限せん。

この形なら、経験差があっても勝負は本物になる。

大人は自分の技術を別の角度から試せる。

子供は相手の本氣を受け取れる。

どちらか一方が付き合ってあげる時間やなく、どちらも学べる時間へ変わるんよ。

勝敗を操作するより、場の設計をする。

それが、相手を小さくせずに守る方法や。

勝った子から自分で勝った実感を奪わない

勝った子供の手へ勝利の印を正直に返す大人

子供が勝った時、周りの大人が言うことには氣をつけたい。

「相手が優しくしてくれたんやで」

「今日はたまたまやな」

「本氣出されたらまだ無理やけどな」

悪氣なく出る言葉かもしれん。

でも、それを言われた瞬間、子供の勝ちは子供の手から離れてしまう。

本人が勇氣を出したこと。練習してきたこと。相手を見て反応したこと。

そこを見る前に、勝ちの価値を大人が小さくしてしまうんよ。

勝ちは勝ちとして受け取らせたらええ。

「勝ったな!どの瞬間に自分で行けたと思う?」

そう聞けば、結果を自分の行動へつなげられる。

「相手が強かったけど、最後まで目をそらさんかった」

「あの音で前へ出た時、いけると思った」

本人の言葉が出たら、それが次も使える力になる。

逆に、大人側が負けた時も言い訳せんことや。

「今日は譲ったった」

それを言ったら、相手の勝ちを後から取り上げることになる。

めちゃくちゃ格好悪いやろ⁇笑

勝負へ立ったなら、負けも受け取る。

「今日は負けた。あそこ、めっちゃ良かったな!」

そう言える大人を見たら、子供は勝ち方だけやなく、負け方まで学ぶ。

勝たせるより、勝ちを本人へ返せる大人でおる。

その姿の方が、何倍も自信を育てると思うで。

終わった後は勝敗より向き合えた事実を返す

バトル後に勝敗ではなく具体的な一歩を振り返る親子

バトルが終わった後、最初の一言で残るものは変わる。

勝った子へ「よかったな」だけ。

負けた子へ「残念やったな」だけ。

それでは、勝敗しか記憶に残らへん。

俺なら、まずその子が実際にやったことを見る。

怖かったのに前へ出た。途中で崩れたけど戻った。相手の動きを受けて返した。最後まで自分の踊りをやめへんかった。

見えていた事実を、具体的に返す。

「最初は固かったけど、二つ目の音で目が変わったな!」

「相手が前へ来た時、逃げずに一歩返したやろ。あれ良かったで!」

これなら、本人も自分の中で確かめられる。

結果を無視する必要はない。

勝ったら喜んだらええ。負けたら悔しがったらええ。

その感情をきれいに片づけんでいい。

ただ、勝敗だけで全部を終わらせない。

今日どこで本氣になれたか。どこで相手を見られたか。どこで自分を隠したか。

そこまで一緒に見る。

評価を渡すより、本人が自分を見つけられる問いを渡す。

「今日、どの瞬間が一番自分やった?」

「次やるなら、どこを変えたい?」

答えがすぐ出なくてもええ。

自分の中を見に行く時間ができる。

ここで大人が先に答えを言い切らんことも大事や。

「あそこが良かった」「ここがあかんかった」と全部決めたら、また本人の勝負を大人が持っていってしまう。

まず聞く。

本人が言葉にした後で、自分に見えていた事実を一つ足す。

この順番なら、振り返りの中心が本人から動かへん。

ダンスの言葉がまだ少ない子なら、身体で示してもええ。

「この時、どんな感じやった?」と言いながら同じ一歩をやってみる。

言葉が出なくても、表情が変わることがある。

振り返りは反省会やない。

自分の中で起きたことを、自分のものとして回収する時間なんよ。

勝ちも負けも、次の選択へつなげられたら終わりちゃう。

成長の途中になるんよ。

優しさとは相手の可能性を先に決めないこと

二人が同じ高さの円に立ち互いの可能性を信じて向き合う姿

勝ちを譲ってあげたいと思う氣持ちの奥には、相手を喜ばせたい思いがある。

せやから、その思いまで否定せんでええ。

ただ、優しくしたい時ほど一回止まって考えてみてほしい。

自分は相手を信じているか。

それとも、自分が守ってあげな何もできへん人として見ているか。

この違いは大きい。

人は、自分で選んで、自分で動いて、自分で失敗して、自分でつかむ力を持っている。

その力を最初からないことにせん。

勝つ可能性も、負けて立ち上がる可能性も、こっちが先に決めん。

必要なら安全を整える。条件を開く。終わった後もそばにいる。

その上で、勝負の中では一人の相手として向き合う。

これが敬意やと思う。

敬意があるから、本氣で見る。

敬意があるから、いい加減な反応を返さない。

敬意があるから、相手の一勝を自分の手柄にせず、その人へ返せる。

優しさは、相手の可能性を先に決めんことや!

勝ちをプレゼントせんでええ。

代わりに、あなたの挑戦は本物やと態度で伝えたらええ。

あなたと向き合う価値がある。あなたが何を出すか、俺にはまだ分からへん。せやから俺も、この一回へちゃんと立つ。

その向き合い方は、勝っても負けても相手の中へ残る。

そして自分の中にも残る。

勝負は、相手を上下に分けるだけの時間やない。

互いの本氣を通して、自分の現在地を知る時間にもできる。

次に親子で踊る時。経験差のある相手と立つ時。

勝ちを譲る前に、二人とも本氣になれる場を作ってみてほしい。

ほんまの優しさは、相手を小さくすることちゃう。

相手の中にある力を信じて、対等に向き合うことやで!

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