ダンスバトルで勝ちたい氣持ちが強すぎると踊れなくなる理由

「勝ちたいと思ったらあかんの?」
バトルで身体が固まった子を見ていると、親も先生もそう考えることがあると思う。
先に言うで。
勝ちたいと思ってええ。負けたくないと思ってもええ。
せっかくバトルへ出るんやから、勝ちに行ったらええ!そこをきれいに消す必要なんかない。
ただな、勝ちたい氣持ちが自分の踊りより前へ出た瞬間、音楽が遠くなることがあるんよ。
相手が強そう。会場が相手へ湧いた。ジャッジがどっちを見ているか氣になる。負けた後の顔まで頭に浮かぶ。
まだ踊ってへんのに、もう結果の中へ住み始める。
そうなると、身体は今の一音を受け取れへん。
俺が伝えたいのは、勝ちを捨てろということちゃう。
勝ちたい欲を持ったまま、自分の時間へ戻ってこい!
これができる人は強い。しかも、ほんまに強い人ほど、戦う顔だけやなく笑っている。遊んでいる。自分の時間が来たことを、全身で喜んでいる。
バトルで固くなる子に必要なのは、勝ちたい氣持ちを叱ることやない。その氣持ちの使い方を覚えることなんよ。
勝ちたいと思った瞬間に身体は結果へ走り出す

バトルの前、頭の中に「勝ちたい」が出てくる。
これは自然なことや。
でも「勝ちたい」が何回も何回も大きくなると、身体はまだ始まってへん結果へ向かって走り出す。
勝てるかな。負けたらどうしよう。相手の方がうまいんちゃうか。ジャッジは何を見てるんやろ。親にがっかりされたら嫌や。
一つの結果を取ろうとして、まだ起きてもいない場面を頭の中で何十回も踊る。
その間、本物の身体はどうなっているか。
呼吸が浅くなる。肩が上がる。足の裏から床の感覚が消える。音が鳴っても、自分が用意した正解を急いで出そうとする。
踊っているようで、結果を取りに行く作業になってしまう。
これが、勝ちたい氣持ちに身体を引っ張られている状態なんよ。
バトルは結果が決まるゲームや。でも、結果を決めるために自分ができることは、今の一音へ今の身体を置くことしかない。
一秒先の勝敗を取りに行こうとするほど、目の前の一秒が抜けていく。
何言うてんねん!って思うかもしれんけど、ほんまにここやで。
勝ちたいなら、結果を握るんやなく、今の身体を取り戻すことから始めるんよ。
点数板を何回見ても、次の一音は聞こえへん。相手の名前を何回考えても、自分の足は動かへん。頭が未来へ飛んだ時ほど、「今、俺の身体はどこにある?」と聞いてみる。勝負の入口は、いつでもここに戻ってくる。
負けたくない氣持ちまで悪者にせんでええ

子供が「負けたくない」と言った時、「勝ち負けちゃうで」「楽しんだらええねん」とすぐ返したくなることがある。
もちろん、楽しむことは大事や。
でもな。
負けたくない氣持ちを、最初から間違いにせんでもええと思う。
悔しいから練習した。勝ちたいから挑戦した。あの子みたいに踊りたいから、何回もできへん動きを続けた。
欲は、人を前へ動かす力にもなる。
火と同じやねん。
火を消したら、何も燃えへん。でも火に飲まれたら、自分まで焼ける。
大事なのは「欲を持つな」やなく、「その欲を誰が持っているか」なんよ。
自分が欲を持っているのか。欲に自分が持たれているのか。
ここは似ているようで全然ちゃう。
「勝ちたい。せやから今日は全部出す!」
これは力になる。
「勝たなあかん。負けたら自分には価値がない」
ここまで行くと、欲が自分の首をつかみ始める。
勝ちたい氣持ちは悪くない。その氣持ちに、自分の価値まで決めさせんことや。
勝っても負けても、その子が今日まで積んだ時間は消えへん。今日できたことも、今日見えた課題も、次へ持っていける。
勝敗は大事。でも、自分の存在全部を判定する札やない。
そこが分かっていたら、勝ちたい火を消さずに、ちゃんと前を照らすために使えるんよ。
悔しさを感じる自分も、その子の一部や。「悔しがったらあかん」と蓋をすると、喜びまで小さくなる。悔しいなら悔しいまま、ほな次は何を積む?と前を向けばええ。感情は止まる場所やなく、次へ進む材料にできる。
相手とジャッジを追いかけると音楽が遠くなる

バトルでは、相手を見ることもジャッジを見ることも大事や。
相手との間で何が起きているか。会場の空氣がどう動いたか。その場を受け取る力は必要になる。
ただし、見ることと追いかけることはちゃう。
相手が大きい技を出した瞬間、「自分ももっと大きいことをせな」と追いかける。
会場が相手へ湧いた瞬間、「取り返さな」と追いかける。
ジャッジの視線が外れた氣がして、「見てもらわな」と追いかける。
追いかけ始めると、自分の音が消える。
自分が選んだ動きやなく、誰かの反応に押されて出た動きになる。踊りの中心が、自分の身体から会場のあちこちへ飛んでいく。
これは相手を見ているようで、実は相手に自分のハンドルを渡している状態なんよ。
俺は「氣合い」を、ただ大声を出して強く見せることやとは思ってへん。
身体、思考、感情、覚悟、目的、場の空氣。そこが一つに合っている状態が氣合いやと思っている。
勝ちたい頭。怖がる足。平氣なふりをする顔。ジャッジを追いかける目。
全部が別の方向へ行ったら、氣は合わへん。
音楽へ戻る。呼吸へ戻る。床へ戻る。
外を見るためにも、まず中の軸が要るんよ。
相手の大技がすごかったら「すごい」と感じてええ。会場が湧いたら、そのエネルギーも受け取ったらええ。受け取ることと奪われることはちゃう。全部を見て、全部を聞いた上で、自分は何を返すのか。そこにバトルの面白さがある。
ほんまに強い人ほど笑って自分の時間を始める

強い人をいっぱい見ていると、ずっと険しい顔で戦っている人ばかりやないことが分かる。
むしろ、余裕で笑っている。
相手がええ動きをしたら顔が動く。音が面白くなったら、その瞬間を身体ごと喜ぶ。自分の番が来たら、「来たー!」という顔で前へ出る。
あれは油断ちゃう。
「誰にも邪魔されへん自分の時間が来た」と知っている顔なんよ。
戦っている。もちろん勝ちにも行っている。
でも、その数十秒の中に勝ち負けだけを置いてへん。
音楽と出会う。相手と出会う。見ている人へ自分を渡す。今まで積んできたものが、その場で何になるかを楽しむ。
せやから身体が開く。
失敗せんように小さくまとめるんやなく、今ここで起きたものへ反応できる。
勝つ人の表情には、戦う顔より遊んでいる余裕が出る。
これ、めちゃくちゃ大事やで!
笑顔を作れという話ちゃう。口角を上げる練習でもない。
自分の時間をほんまに喜べたら、結果として表情がほどけるんよ。
「負けたらどうしよう」の時間から、「何が起きるんやろ!」の時間へ変わる。
同じドキドキでも、身体に入る意味が変わる。
怖さだけやったドキドキが、ワクワクを含み始める。そこから、その子にしか出されへん踊りが出てくるんよ。
見ている側にも、その違いは伝わる。決められた動きを失敗せんように並べる人と、その場で音楽を生きている人。技の難しさが同じでも、目が離せへんのは後者や。自分の時間を楽しむ人は、会場までその時間へ巻き込んでいく。
笑っている余裕は勝負を捨てた姿ちゃう

「楽しんで踊る」と聞くと、勝負に本氣じゃないように感じる人もおるかもしれん。
負けてもええ。適当でええ。笑って終われたらええ。
俺が言っているのは、そんなことちゃうで。
勝負やから、勝ちに行く。
相手が最高なら、その最高ごと越えに行く。
自分の準備も技術も感情も、全部出す。
その上で、結果に脅されながら踊るんやなく、勝負そのものを引き受けて楽しむんよ。
遊びというのは、適当という意味やない。
子供が本氣で遊んでいる時を見たら分かる。ルールを覚える。うまくなろうとする。負けたら悔しがる。もう一回やりたいと言う。
めちゃくちゃ真剣やろ⁇笑
でも、真剣やから固いわけではない。
目の前で起きたことを使う。思いついたら試す。失敗しても次へ行く。相手の面白い動きにも反応する。
それが遊べている状態や。
余裕とは力を抜いていることやない。何が起きても、自分の時間に変えられる幅があること。
勝ちたい氣持ちを持ちながら遊べる人は、選択肢が多い。
予定通りにいかなくても壊れへん。相手の流れが強くても、そこへ自分の答えを返せる。
せやから怖い。せやから強い。
勝負を捨てた笑顔やなく、勝負を丸ごと受け取った笑顔なんよ。
予定を守ることより、起きたことに答える。これができるのは、普段から準備している人や。遊べる人は何も持ってへんのやない。持っている技術を、その場に合わせて自由に使える。だから本氣と遊びは反対やなく、深いところでつながっている。
勝ちに行きながら今の一音へ戻る方法

ほな、バトルで「勝たなあかん」に飲まれた時、どう戻るのか。
難しいことを増やさんでええ。
まず、息を吐く。
吸おうと頑張る前に、固まっている息を一回外へ出す。
次に、足の裏で床を感じる。
床は逃げへん。相手が誰でも、会場がどれだけ湧いても、自分の足の下には今の床がある。
そして、一曲全部を何とかしようとせず、今聞こえた一音を取る。
- 息を一回、長く吐く
- 足の裏が床に触れている場所を感じる
- 相手の点数ではなく、今の一音を聞く
- うまく見せるより、身体がどう反応したかを見る
- 失敗を消そうとせず、次の一音へつなぐ
これだけで、意識が結果から身体へ戻ってくる。
俺は、自分を外から見ているもう一人の自分を持つことも大事やと思っている。
「あ、今めっちゃ勝ちに引っ張られたな」
「相手を見て、自分の踊りを変えようとしすぎたな」
そう見えたら、責めるんやなく戻る。
氣づいた瞬間は失敗やない。戻れる入口や。
戻る回数が増えるほど、その子の中に自分の場所ができてくる。
勝ちたいままでええ。ドキドキしたままでええ。
その全部を連れて、今の一音へ立つんよ。
一回戻っても、また結果へ飛ぶことはある。それでええ。また息を吐いて、また床を感じる。戻ることを一度で成功させようとしたら、それすら新しい正解探しになる。何回飛んでも何回戻れる、そのしなやかさを身体に覚えさせるんよ。
練習から結果より自分の時間を作っておく

本番だけ急に「楽しめ」と言われても、なかなかできへん。
普段の練習がずっと正解探しになっていたら、バトルでも正解を探す。
先生の顔を見て、合っているかを確認する。隣の子を見て、同じようにできているかを確認する。失敗しそうな動きは出さない。
これを続けていると、自分の時間を始めるより、誰かの採点を待つ身体になる。
せやから練習の中に、「自分で始めて、自分で選び、自分で終わる時間」を作るんよ。
一曲、誰にも止められずに踊る。
途中で変な動きが出ても、そのまま続ける。
音から何を感じたか、自分の言葉で話す。
先生の正解を当てるんやなく、自分が何を選んだかを見る。
技術練習をせんでええという話ちゃうで。
基礎は要る。反復も要る。身体が使えるようになるまで、地味な時間を積むことも必要や。
でも、技術は自分の時間を作るための道具や。
技術を間違えへんために踊り始めたら、道具に使われてしまう。
普段から自分の時間を作れている子は、本番でも相手の時間に飲まれにくい。
準備とは、技を増やすことだけやない。
どんな場でも「ここから俺の時間を始める」と戻れる身体を育てることなんよ。
練習の終わりに「今日は何が正解やった?」だけやなく、「今日はどの瞬間が自分の時間やった?」と聞いてみるのもええ。答えは毎回変わっていい。自分で感じて、自分で見つける回数が増えるほど、誰かの答えを待たずに踊れるようになる。
親は勝った顔より踊りへ戻れた瞬間を見る

子供がバトルで固くなる時、親も固くなる。
勝ってほしい。練習してきたものを出してほしい。悔しい顔を見たくない。
それは愛情やと思う。
でも、その氣持ちが強くなりすぎると、子供は自分の勝ちたい欲だけやなく、親の期待まで背負って踊ることになる。
終わった瞬間に「勝った?」「何対何やった?」だけを聞かれ続けたら、子供の中でバトルは結果を持って帰る場所になる。
もちろん結果を聞いてええ。勝ったら一緒に喜んだらええ。負けたら悔しがってええ。
その上で、もう一つ見てほしい。
途中で固まったのに、呼吸を戻せた。
相手のすごい動きから逃げずに見た。
ミスした後、次の音へつないだ。
最後の数秒で、自分の顔に戻った。
そういう瞬間や。
勝敗の札には出ない成長を、近くにいる大人が見つけて言葉にする。
「あそこ、相手に湧いた後も音へ戻ったな!」
「最後、自分の時間になってたで!」
この言葉は、何でも褒めるための言葉ちゃう。
子供が自分で戻った事実を、一緒に確認する言葉や。
結果だけでは見えへん力を見てもらえた子は、次のバトルでまた自分へ戻りやすくなる。
親が勝敗を無視する必要はない。ただ、勝敗より深いところで何が育ったかも見てほしいんよ。
親の言葉は、子供が次に何を見るかを決める。結果だけを聞けば結果だけを見る。戻れた瞬間を一緒に見れば、自分の変化を見るようになる。子供の代わりに勝敗を背負うんやなく、子供が自分で立ち直った事実を信じて待つ。それも応援やと思う。
勝ちたい火を消さず自分の踊りへ戻ってこい

勝ちたい。
負けたくない。
その氣持ちは、挑戦した人にしか出てこない大事な火や。
せやから消さんでええ。
ただ、その火で自分の身体まで焼かんこと。
勝敗を考えて呼吸が消えたら、息へ戻る。
相手を追いかけて足元が消えたら、床へ戻る。
ジャッジの目を追って音が遠くなったら、今の一音へ戻る。
何回でも戻ったらええ。
ほんまに強い人は、最初から何も揺れへん人やない。
揺れたものまで使って、自分の時間を始められる人や。
そして、自分の時間を始められた人同士がぶつかった時、バトルはめちゃくちゃ面白くなる。
片方が相手を消して勝つんやない。
二人が出し切って、一つの場を作る。見ている側が「どっちか決めなあかんのか!」と思うほど、同じ時間が出来上がる。
そこまで行ったら、勝敗は消えてへん。でも勝敗だけでは収まらへんものが残る。
俺は、子供たちにそこを知ってほしい。
勝ちに行け!
でも、勝ちたい氣持ちに踊らされるな!
自分の身体で、自分の時間を踊れ!
結果は、その後についてくる。
勝てる日もある。負ける日もある。判定に納得できへん日かてある。それでも、自分の時間を始めた経験は誰にも取られへん。
その経験が次の一歩を作り、次の相手と出会った時の器になる。勝敗を越えるとは、勝敗を無視することやなく、勝敗まで自分の成長に使うことなんよ。
在れば成る!
SHIGE_SDS
