ダンスバトルで先攻を選べる子供が普段からしている準備

ダンスバトルで「先攻か後攻、どっちにする⁇」って聞かれた時、後攻を選ぶ子、ほんまに多いんよ。
相手を先に見たい。曲の感じを知りたい。どんな空氣になるか確かめてから出たい。
その氣持ち、めちゃくちゃ分かる!
知らんまま先に出るより、一回見てからの方が安心できそうやもんな。ところが実際の身体を見ていると、安心するために選んだ30秒で、さっきより肩が上がり、呼吸が浅くなり、足が重くなっていく子もおる。
俺はバトル前に、少し強い言い方をすることがある。
「怖いから後攻を選ぶなら、その時点でもう負けてるで!」
後攻があかんと言いたいんちゃう。先攻が正解やと言いたいわけでもない。
順番を自分で選んだのか。怖さに選ばされたのか。俺が見たいのは、そこなんよ!
たった30秒の順番を決めるだけやのに、その一瞬には普段の自分が出る。音が来たら入れる自分を作ってきたか。人に見られた時、外の反応ばかり追いかけず、自分の中に戻れるか。昨日までやったことを、今ここで出す覚悟があるか。
小さな選択ほど、ごまかされへん!
せやから今日は、先攻を取るための小技や作戦やなく、順番がどっちに転んでも自分で立てる準備の話をしたい。
俺は普段から、自分の人生も、子どもたちの変化も、完成した答えやなく研究途中のものとして見ている。実際にやって、身体に何が起きたかを見る。失敗したら、そこからまた考える。
やってから、言え!
この順番は、バトルでも同じなんよ。先攻がええか後攻がええかを頭だけで決めるんやなく、両方やった自分を観測して、次の一歩を自分で選ぶ。
面白いやろ⁇笑
順番の話を掘っていくと、結局は生き方の話までつながってくるんよ!
後攻を選びたくなる氣持ちは悪くない

「後攻の方が有利なんちゃう?」
そう思うのは、別におかしくない。
相手のテンション、使ってくる動き、会場の反応。先に見られたら情報は増える。見たものを落ち着いて受け止めて、自分の踊りへ持っていける子なら、その30秒はちゃんと力になる。
せやけど、情報が増えたら安心も増えるとは限らへん。
相手が出た瞬間、頭の中にいろんな声が入ってくる。
- うわ、思ったより上手いやん
- 会場、めっちゃ湧いてるやん
- あれより大きいことせなあかん
- 自分も何か返さなあかん
最初は相手を見るつもりやったのに、途中から相手と自分を比べ始める。まだ自分の音は鳴ってへんのに、もう勝った負けたを頭の中で何回もやってしまう。
これ、子どもだけちゃうで!
大人も同じやろ。誰かの発表を見てから自分の番を待つ時、参考になることもあれば、余計なことを考えすぎて自分の言葉が飛ぶこともある。
後攻という選択が悪いんちゃうねん!
「見てから決めたい」の奥に、自分の何がおるのか。そこを自分で見られるかどうか。
落ち着いて相手を見たい自分がおるのか。怖いから一秒でも先へ延ばしたい自分がおるのか。答えは外から決められへん。
自分の観測者になるって、こういうところから始まるんやと思う。
ここやねん!
待つ30秒で緊張が小さくなるとは限らない

先攻と後攻って、ものすごく大きい差に見える。
でも、バトルによっては自分が踊る時間が30秒ほど後ろへ動くだけ。たった30秒。その間に昨日までの練習が増えるわけやない。苦手やった動きが急にできるようになるわけでもない。
変わるとしたら、技術より状態の方やねん。
要は、状態!
俺は「氣合い」を、声を出してテンションを上げることやとは思ってへん。身体、思考、感情、覚悟、目的、そして場の空氣。その氣が合っている状態を、俺は氣合いと捉えている。
氣合いは無理やり入れるもんやなく、全部が整った時に「入っている」もんなんよ!
ここ、意味分かるかな⁇
待つ30秒で身体は踊りたがっているのに、思考だけ相手へ持っていかれたら、氣がバラバラになる。大声で「氣合いや!」と言うても、内側が不調和なら身体は動きにくい。
待っている子を見ていたら分かる。
最初は普通に立っていたのに、相手が踊り始めると肩が少し上がる。足先に力が入る。呼吸が小さくなる。目は相手を見ているのに、自分の中にあった音がどんどん遠くなる。
「あと20秒」「次は自分」「何かせな」
身体はまだ踊ってへんのに、頭だけ先に何本も踊っている。考えるたびに力を使い、本番の一歩目が来る前に疲れてしまう。
安心を取るための30秒が、緊張を育てる30秒に変わることもあるんよ。
もちろん、待つ間に呼吸を整えられる子もおる。相手の踊りを受け取っても飲み込まれず、「ほな次は俺の時間やな」と切り替えられる子もおる。
その子にとっては、後攻が生きた選択になる。
大事なんは、「後攻なら安心」という思い込みで決めへんこと。
待った時、俺の身体は軽くなるんか。重くなるんか。頭の声は静かになるんか。増えていくんか。
そこを知るには、実際に両方やってみるしかない!
相手を見てから踊ると自分の時間を失うことがある

相手の踊りを見るのは勉強になる。
これは間違いない!
ただ、練習動画を見る時と、次に自分が出るバトルで見る時は、同じ「見る」でも中身がちゃう。自分の出番が迫っている時は、観察だけで終わらへんから。
「今の動き、やばい」
「会場があそこで湧いた」
「もっと大きく返さな」
相手の30秒に、自分の30秒の答えを探し始める。そうすると、昨日まで身体に入れてきたものより、目の前で見たものの方が大きくなる。
いつもなら自然に出る一歩が遅れる。得意な動きまで小さくなる。技術が消えたんちゃう。相手の時間を抱えたまま、自分の時間へ入ろうとしているだけかもしれへん。
相手は相手の30秒を生きる。自分は自分の30秒を生きる。その境目まで渡したらあかん!
バトルやから、相手は見る。相手から受け取るものもある。せやけど、何を受け取って、何を置いていくかは自分で決めてええ。
後攻でも強い子は、この境目を持っている。
「あの子はすごい」と思いながら、自分の価値まで下げへん。「会場が湧いた」と感じながら、自分も同じことをせなあかんとは思わへん。
外を見ても、自分へ戻ってこられる。
ここが大事!
これも普段からの練習なんよ。ダンスだけやなく、人の評価や目の前の空氣に触れた時、自分まで全部持っていかれへん練習。
本番に出るのは昨日まで積み重ねた自分

本番になると、何か特別な自分が出てくるような氣がする。
いつもより大きく踊れるんちゃうか。練習でまだ安定してへん技も、会場なら決まるんちゃうか。音と照明と歓声が、別の自分にしてくれるんちゃうか。
その感覚も分かる。俺かて本番の空氣から力をもらう。
でも結局、舞台に立つのは昨日までの自分やねん!
30秒待ったからって、根っこが急に太くなるわけやない。先攻を選んだからって、勇氣だけで枝が増えるわけでもない。
人から見える踊りは枝葉みたいなもんで、その下には見えへん根っこがある。
音が鳴ったらまず足を置いてきたか。失敗したあとも次の一拍へ進んできたか。人に見られた時も呼吸を続けてきたか。知らん曲でも、今ある自分で入ってみたか。
そんな普段の一回一回が根っこになる。
本番に強い子は、本番の日だけ急に強くなった子やない。普段着のまま一歩出る回数を重ねた子なんよ。
「今の自分で出る」は、諦めやない。
まだできへんことを放っておく話でもない。
今日持っている100点を、今日ちゃんと出す。出したあとで足りへんかったものを見る。ほな、また根っこを育てたらええ。
結果だけ見て「できた」「できへん」で終わったら、次に何を育てたらええか分からんままになる。せやけど、一歩目で呼吸が止まった、相手を見て軸がずれた、音が鳴ったら自然に入れた。そこまで見たら、次の練習が見える。
本番は、普段を隠す場所やない。
普段を教えてくれる場所やねん!
先攻は勇氣を証明するための選択ではない

ここまで読んだら、「ほな、これから子どもには先攻を選ばせたらええんやな」と思う人もおるかもしれへん。
でも、それを新しい正解にしたら、また違う!
「先攻を選ぶ子が強い」
「後攻を選んだら逃げ」
そんなルールを大人が渡したら、子どもは今度、大人の期待に順番を選ばされる。怖いと言えへんまま先攻へ出て、固まってしまうこともある。
俺が見たいのは「先攻」と答えた口やなく、その時の身体やねん!
俺なりに言うと、本氣の第一歩は自分で決めることや!
先攻に出たら本氣、後攻なら本氣ちゃう、そんな単純な話やない。今の自分を明らかにして、怖さも含めて認め、その上で「今日はこっちへ行く」と決める。決めた自分を引き受ける。
それが本氣の入口や!
怖いなら、何が怖いんやろ。相手を見たいなら、見たあと自分へ戻れるやろか。先に行きたいなら、音が鳴った時に今の自分を出せるやろか。
そこまで含めて、自分で選べたらええ。
先攻へ出て、何もできへん日もある。後攻にしとけばよかったと思う日もある。全然ええやん!その失敗でしか見えへん自分がある。
勇氣って、怖くないことやないと思う。
怖さを消してから動こうとしたら、いつまでも始まらへん。怖い自分もおると分かった上で、それでも一歩を選ぶ。
先攻を選んだ事実より、その一歩を自分で引き受けた経験の方が、ずっと後まで残るんよ。
いつでも出られる身体は普段の遊びで作られる

「いつでも出られる自分を作る」と言うと、毎日ピリピリして、ずっと本番みたいに練習せなあかんと思うかもしれへん。
俺は逆やと思う。
もっと遊んだらええ!
子どもの「やってみたい」は、命が世界を知ろうとする最初の火種やと思う。俺はこれを好奇心の根っこと呼んでいる。
「失敗するかもしれへんから待っとこ」より、「どうなるか分からんけど一回行ってみよ」。その軽い一歩を、大人が正解不正解で消さんこと。先攻へ出られる身体は、根性より先に、この火種から育つんよ。
音が鳴ったら誰かが出る。順番が急に来たら、とりあえず一歩だけ出てみる。うまくまとまらんでも、その場で次の音を拾う。仲間が見ていても、短い時間を自分の踊りで遊んでみる。
こういう経験が身体へ入ると、本番でゼロから勇氣を作らんでよくなる。
身体が先を知っているからやねん。
普段のレッスンで「次、誰が行く?」となった時、誰かが出るまで待つのか。形になってへんくても、自分から出てみるのか。誰にも採点されへんような一瞬が、本番の一歩目につながっている。
- 音が鳴ったら、まず足を置く
- 分からん曲でも、今ある動きで入る
- 失敗しても、次の一拍へ進む
- 見られていても、呼吸を止めへん
これ、先攻だけの技術ちゃうやろ⁇
後攻でも、ショーでも、レッスンでも、生きてくる身体の使い方や。
準備とは、怖さをなくすことではなく、怖さが来ても身体が次を知っている状態を作ること。
頭で「大丈夫」と言い聞かせても、身体が固まる日はある。せやけど普段から一歩目で遊んできた身体には、緊張の中でも動き出す入口が残っている。
獅子会で大事にしているのも、完成した踊りだけやない。
何でもない日に、誰にも言われる前に出た一歩。失敗して笑って、もう一回やった一歩。あれも全部、本番へつながる準備なんよ!
先攻を選んだ瞬間に会場の氣が集まる

みんなが後攻を選びたがる場面で、一人が「先攻」と言う。
その瞬間、会場から「おおっ!」って声が出ることがある。
まだ踊ってへん。技も見せてへん。それでも、知らん人までその子を見る。「この子、何かやるんちゃうか」って、会場の氣が一氣に集まるんよ。
俺はこの話、ガチでしている。
ガチやぞ‼︎笑
目に見えへんから、ただの氣分やと思う人もおるやろ。それでも、あの場に立った身体は知っている。誰かの期待や応援が、自分一人では出せへん力を運んでくる瞬間がある。
ただし、「先攻を選んだら会場が湧く」という作戦にしたら薄い。
声が起きへんかった時に崩れるし、目立つことが目的になったら、また外の反応に自分を預けることになる。
普段から出られる身体を作ってきた子が、自分の選択として前へ出る。そこへ「おおっ」が重なる。ほな、その声が一歩目の追い風になる。
応援も運も、準備してきた身体に入った時、初めて力へ変わる!
会場の氣だけで急に上手くなるんちゃう。
根っこがあるから、外から来た力を枝へ流せるんよ。
この時に必要なんが、器や!
俺が言う器は、技術だけやない。練習した時間、失敗した経験、人の言葉を受け取る心、自分を信じる力。自分自身の状態そのものや。
大きな応援が来ても、器がひっくり返っていたら入らへん。逆に、器が育っていたら、知らん人の「おおっ」までちゃんと力に変えられる。
しかも、その力は自分一人で作ったもんちゃう。相手がおる。DJがおる。MCがおる。見てくれる人がおる。連れてきてくれた家族がおる。
全部、お陰様やねん!
先攻を選ぶのは一人でも、一人だけであの30秒が生まれているわけやない。
誰かに見てもらうことを怖がるだけやなく、届いた応援を受け取る。これもバトルが教えてくれることの一つやと思う。
親は勝敗より順番を選ぶ時の身体を見てほしい

バトルが終わったら、勝ったか負けたかが一番分かりやすい。
勝ったらうれしい。負けたら悔しい。そこは綺麗にせんでええ。子どもが一生懸命やってきた分、親も結果を見たくなるやろ。
でも成長って、勝敗表に載らへんところでも起きている。
順番を聞かれた時、前より早く自分で答えた。先攻を選んで、逃げずに音を待てた。後攻を選んだけど、相手の踊りに飲まれず自分へ戻れた。会場の声が来た時、怖がるだけやなく力として受け取れた。
こういう変化、トーナメント表には何も残らへん。
せやけど、その子が次のバトルへ持っていける力は、むしろこっちやと思う。
終わったあと、すぐに「なんで後攻にしたん?」「先攻の方がよかったんちゃう?」と答えを渡す前に、こんな話をしてみたらええ。
- 選ぶ時、身体はどんな感じやった?
- 待っている間、何を見てた?
- 音が鳴った時、自分へ戻れた?
- 次はどっちを試してみたい?
これ、正解を当てる反省会やない!
子どもが自分の観測者になる時間や!
すぐ「分からん」と返ってきても、それでええ。その時はまだ、身体が知っていることに言葉が追いついてへんだけかもしれへん。
何回かやったあとに、「待ってる方が怖かった」「先に出たら意外と楽しかった」と言葉になる時が来る。
親が答えを入れるより、子どもの中から出てくる言葉を待つ。
その会話ができたら、勝っても負けても、一回のバトルが次の準備へ変わっていく。
獅子会で伝えたい準備の正体

獅子会で伝えたい準備は、先攻を選ぶためだけの準備やない。
いつ何が来ても完璧にできるようにすることでも、怖さを全部なくすことでもない。
知らん曲が来る。相手が強い。会場に知らん人がいっぱいおる。急に順番を選ばなあかん。
自分では決められへんものがある中で、それでも今の自分を出せる状態を育てる。
俺が思う準備の正体は、これなんよ!
先攻へ出て、会場の氣を受け取る日があってええ。後攻を選んで、相手を見ながら自分を失わん日があってええ。
大事なのは、どっちを選んだかだけやない!
「選ばされた自分」やなく、「選んだ自分」で床に立てたかどうか。
ここやねん!
そのために、普段のレッスンで音へ反応する。遊びの中で一歩目を出す。失敗しても次の一拍へ行く。誰かが見ていても、今日持っているものを一回出してみる。
心の根っこを育てるのは、特別な本番だけやない。
どんな時間を過ごすか。どんな人と過ごすか。どんな空間に身を置くか。
俺はこれを「三つの間」として見ている。時間、人、空間。その間で縁が起き、見えへん根っこが伸びていく。
先攻を選んだ先に何が起きるかなんて、誰にも見えへん。見えてから進むんやなく、今まで積み重ねた自分を信じて一歩出る。その信じる心も、毎日の小さい実践で育つんよ。
準備ができているとは、不安がないことやない。不安があっても、今日の100点を出しにいけること!
子どもが先攻を選んだか、後攻を選んだか。
表から見たら、小さな順番の話や。
でも、その一つの選択には、自分を知ること、人の影響を受けすぎへんこと、応援を受け取ること、今の自分を引き受けることが全部入っている。
ダンスバトルは、踊りの勝ち負けだけを学ぶ場所やない!
自分で選び、その選択の中で自分を出す。それを頭やなく、身体で覚える場所なんよ!
何に触れるか。どこに身を置くか。誰と一緒に、その一歩を何回も繰り返すか。
そうやって見えへんところに根っこが伸びていく。
誰かより強く見せるための根っこやない。知らん曲でも、知らん相手でも、知らん人に見られていても、自分の足で床へ立てる根っこや。
その根っこがあれば、順番が変わっても、自分まで全部変わらずに済む。
在れば成る!
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