子供のダンスが「怖い、でもやりたい」から本当に伸びる理由

少し緊張しながらダンスサークルへ一歩入ろうとする子供を描いたキッズダンスのイラスト

獅子会のSHIGE_SDSです。

みなさん、子どもが「ちょっと怖い」と言いながら、それでも前から離れへん時ってないですか?

  • ダンスバトルの輪を、少し後ろからずっと見ている。
  • 出るかと聞くと首を振るのに、帰ろうとはしない。
  • 大きいお姉ちゃんたちの動きを、目で追い続けている。
  • 順番が近づくと緊張するのに、「やってみたい」とも言う。

大人からすると、怖がっているなら無理をさせない方がいいと思う。

それは間違っていない。ほんまに嫌がっている子を、無理やり前へ押し出す必要はない。

でもな、俺はここで、子どもの中にもう一個ある氣持ちを見落としたくない。

怖い。でも、やってみたい。

この二つが一緒にある時、子どもの中では「覚えたい」「近づきたい」という火がつき始めている

ここやねん。

今日は、ダンスバトルで感じるドキドキとワクワク、見て覚える身体、挑戦の大きさ、そして大人が子どもの火を消さずに見守ることまでつなげて話していく。

怖がっているのに、前から離れない

怖さを感じながらもダンスサークルから離れず見続ける子供を描いたイラスト

ダンスバトルの輪の近くで、子どもがじっと見ていることがある。

前へは出ない。声をかけても、すぐには動かない。でも、その場から離れようともしない。

目は踊っている人を追っている。音が変われば身体が少し揺れる。誰かが技を出したら、表情が変わる。

これを「怖がっている」で終わらせたら、半分しか見えてへん。

離れへんということは、その子の中にもう「触れてみたい」がある。

ほんまに何も感じていなかったら、別の場所へ行ける。興味がなければ、ずっと見続ける必要もない。

でも見ている。少し近づく。また下がる。そして、もう一回見る。

この行ったり来たりは、迷っているだけに見えるかもしれへん。でも俺には、自分の中で挑戦の大きさを測っているように見える。

どれくらい速いんやろ。自分も入れるんやろか。失敗したらどうなるんやろ。あのお姉ちゃんみたいに動けたら面白いやろな。

言葉にはできなくても、身体はいっぱい受け取っている。

怖さがあるから、ちゃんと見る。知らないから、目が離せない。

その場で踊れたかどうかだけを見たら、何も起きていないように見える。でも、その子の中ではもう練習が始まっているんよ。

足の置き方を見ている。音に入る瞬間を見ている。みんなが笑ったり応援したりする空氣も受け取っている。

挑戦は、前へ出た瞬間から始まるんちゃう。「やってみたい」と心が少し動いたところから始まってる。

怖さをなくしてからでは、始まらない

ダンスサークルの端で緊張と興味を抱えながら見つめる子供を描いたストリートダンスのイラスト

子どもが怖いと言うと、大人は安心させたくなる。

「大丈夫やで」「全然怖くないで」「失敗しても何もないよ」と伝えたくなる。

それも優しさやと思う。不安で固まっている子に、安心できる言葉が必要な時もある。

でも、怖さを全部なくしてから始めようとすると、いつまでも始まらへんことがある。

初めての音。
初めて向き合う相手。
初めて一人で入るサークル。
分からないことがあるから、少し怖い。

新しいことには、分からない部分が必ずある。分からないものへ身体が慎重になるのは、変なことちゃう。

大人でも一緒やろ。初めて人前で話す時、知らない場所へ入る時、初めての仕事を任された時、少しドキドキする。

そのドキドキは、「やめた方がいい」という答えだけではない。

自分にとって大事やから、身体が反応していることもある。やってみたいからこそ、失敗した時のことまで考える。

せやから俺は、怖いを消すことだけをゴールにしたくない。

怖いままでも、もう半歩だけ近づけるか。輪の外から音を取れるか。今日は見るだけでも、次にやりたいと思えるか。

必要なのは、「怖くない状態」を作ることより、怖さがあっても自分で選べる大きさにすることやと思う。

ゼロか百かにしなくていい。出るか、逃げるかだけでもない。

近くで見る。仲間と一緒に入る。最初の一歩だけやってみる。途中で戻ってもいい。

そうやって身体が「怖くても動けた」を知ると、次に同じ場所へ来た時の景色が変わる。

ドキドキとワクワクは、同じ場所にある

緊張とワクワクを同時に感じながらダンスを見る子供を描いたイラスト

バトルの前はドキドキする。

何が起きるか分からへん。どんな曲が流れるか分からへん。相手が何を出すかも分からへん。

この「分からへん」は、怖さにもなる。でも同時に、面白さにもなる。

全部決まっていたら、ドキドキは減るかもしれへん。でも、ワクワクも減る。

ドキドキを全部消したら、挑戦の中にあるワクワクまで消してしまうことがある。

ジェットコースターでも、乗る前は少し怖い。でも、その先に何があるか知りたいから列に並ぶ。

遊びも一緒。初めて高いところから跳ぶ。初めて速いボールを受ける。初めて知らない子の輪へ入る。

少し怖い。でも、やってみたい。

この感覚があるから、人は工夫する。よく見る。先にやっている人の真似をする。自分の番が来た時を想像する。

怖さとワクワクは、反対側にあるんちゃう。同じ新しい扉を、違う角度から見ているようなものやと思う。

怖さは「まだ知らへん」と教えてくれる。ワクワクは「それでも知りたい」と前へ引っ張ってくれる。

どちらか一つだけではない。両方あるから、身体は慎重になりながら前へ進める。

大事なのは、怖さに全部を任せないこと。でも、ワクワクだけを見て無理に進ませることでもない。

今の子どもの中で、どっちがどれくらい動いているかを見る。

顔は緊張していても、目が輝いていることがある。口では「無理」と言っても、足は輪の方へ向いていることがある。

言葉だけではなく、身体全体を見ると、「怖い」の奥にある「やりたい」が見えてくるんよ。

やってみたいが、覚えようとする身体を作る

大きい子のヒップホップダンスを夢中で見て動きを真似する子供を描いたイラスト

「これを覚えなさい」と言われた時と、「あれをやってみたい」と思った時では、同じ動きを見ても入り方が違う。

やってみたい時の子どもは、細かいところまで見ている。

どっちの足から入ったか。どこで止まったか。音が鳴る前に動いたのか、鳴ってから動いたのか。

教えられる前から、自分で情報を取りに行く。

覚えようとする身体は、命令で動く身体ではなく、近づきたいものを見つけた身体。

ここが、ほんまに大きい。

もちろん、教えることは必要。足順も伝える。身体の使い方も練習する。危ないことは止める。

でも、どれだけ正しく教えても、本人の中に「やってみたい」がなければ、言葉は表面を通っていく。

反対に、やってみたいものが目の前にあると、まだ言葉を全部理解できなくても身体が拾い始める。

一回見ただけで真似をする。家へ帰ってからもやる。次に会った時、前より近いところまでできている。

これは才能が急に増えたんちゃう。見ている量と、試している回数が変わったんよ。

「覚えなあかん」から「覚えたい」へ変わると、練習は宿題だけではなくなる。

できなかったことが悔しい。でも、もう一回やりたい。さっきより少し分かった。次はここを見たい。

その循環が始まる。

先生が毎回エンジンをかけなくても、自分の中の火で動き出す。

子どもを伸ばす時、大人が全部の答えを渡すより、この火がつくものに触れさせる方が大事なことがある。

何を教えるかだけやない。何に出会わせるか。誰の踊りを見せるか。どんな空氣の中に立たせるか。

それで、覚え方まで変わる。

大きいお姉ちゃんを見て、子どもは動き出す

年上のダンサーが仲間を応援する姿からヒップホップの文化を学ぶ子供を描いたイラスト

小さい子が、大きいお姉ちゃんたちのダンスをずっと見ていることがある。

全部の技の名前を知っているわけちゃう。何が難しいかも、まだ説明できへん。

でも、「あれ、やってみたい」は分かる。

この時、子どもが見ているのは形だけではないと思う。

音に入る時の顔。
失敗しても戻る姿。
仲間が応援する声。
踊り終わった後の空氣。

全部ひっくるめて、「あそこへ行ってみたい」と感じている。

大人から教わるだけでは入らないものが、少し先を歩いている人を見ると入る。

自分とまったく別世界の人ではなく、「いつか自分もああなれるかもしれへん」と思える距離にいる人。

その存在は、言葉より強い。

「もっと練習しなさい」と言われるより、かっこいい踊りに触れた日の方が、自分から動くことがある。

人は、説明された方向にしか進めないわけちゃう。憧れた方向へも進む。

だから、子どもの前に誰がいるかは大事なんよ。

上手い人だけがいればいい、という話でもない。挑戦している人、失敗しても笑って戻る人、仲間を応援する人がいる。

そういう姿を見て、子どもは「ここではこうやってやるんや」と身体で覚える。

教科書を読むように覚えるのではなく、場の中で文化を受け取っていく。

ヒップホップやストリートダンスには、近くで見て、真似して、自分で試して、少しずつ自分のものにしていく時間がある。

その時間を急いで説明へ変えすぎないこと。

子どもが夢中で見ているなら、その目はもう学んでる。

バトルを怖い試験から、遊びへ戻す

仲間の応援の中で笑顔でダンスバトルを楽しむ子供たちを描いたヒップホップのイラスト

バトルと聞くと、勝ち負けの場所に見える。

上手いか下手かを見られる。技を失敗したら負ける。強い相手に当たったら怖い。

そう見えたら、子どもの身体が固くなるのも当たり前やと思う。

でも、バトルは試験だけちゃう。

相手と音楽があるから、いつもの練習では起きないことを遊べる場所でもある。

どんな曲が来るか分からへん。相手が何をするか分からへん。自分でも、次に何が出るか分からへん。

せやから面白い。

正解を当てに行く時間ではなく、その場で起きたことへ反応してみる時間。

相手が大きく動いたから、自分は小さく止まってみる。知らない曲やったから、まず一個の音だけ取ってみる。

うまくいかなくても、「今の何やったんやろ」と笑える。次は違うことを試せる。

遊びには、失敗したら終わりという感覚が少ない。

鬼ごっこで捕まっても、また始まる。カードで負けても、次の一枚を引く。できなかった動きも、もう一回試せる。

この「続きがある」が、子どもの怖さを小さくする。

負けないことが目的になると、一回の失敗が大きくなる。でも遊びながら学ぶと、失敗は次の工夫の材料になる。

もちろん、勝ちたい氣持ちはあっていい。悔しさも大事。勝負から逃げる必要もない。

でも、勝ち負けだけでバトルを閉じたくない。

ドキドキした。思ったより動けた。相手を見たら次の一歩が出た。仲間の声が聞こえた。

その全部が練習になる。

バトルが遊びへ戻ると、「怖い、でもやりたい」が育つ場所になるんよ。

挑戦は、手を伸ばせる大きさにする

友達に見守られながらダンスサークルへ小さな一歩を練習する子供を描いたイラスト

子どもの火を消さないと言うと、何でも挑戦させたらいいように聞こえるかもしれへん。

でも、俺はそうは思っていない。

怖さが大きすぎて、身体が何も受け取れなくなっている時もある。泣いているのに押し出すことが、成長とは限らへん。

大事なのは、その子が自分で手を伸ばせる大きさにすること。

今日は輪の近くで見る。
次は仲間と一緒に入る。
八小節全部ではなく、最初の一歩だけ出す。
終わったら、自分で戻ってくる。

同じ挑戦でも、大きさは変えられる。

大人が「これくらいできるやろ」と決めるのではなく、子どもの身体が今どこまでなら前へ向けるかを見る。

足が完全に後ろを向いているのか。身体は止まっていても、目は前を見ているのか。仲間がいれば一歩出られるのか。

その小さな違いを見ながら、入口を作る。

挑戦が小さすぎれば、何も動かないこともある。でも大きすぎれば、怖さだけが残る。

少し背伸びしたら届く。そのくらいが、次の「もう一回」を生む。

ここで大人が急ぐと、せっかく出てきた「やりたい」が「やらされた」に変わってしまう。

自分で選んだ一歩と、押されて出た一歩は、外から同じに見えても身体の中が違う。

自分で選んだ一歩には、次の工夫がつながる。何が怖かったか、どこならできたかを、自分で受け取れるから。

今日は入れなかった。それでも、前より近くで見られたならゼロではない。

一小節しか踊れなかった。それでも、自分で輪へ入って戻ってきたなら大きな一歩。

今日の100点は、全部できたことだけでは決まらへん。

その日の自分が出せた一歩を、自分で受け取れたか。そこを見たい。

親が先回りして、怖さを消しすぎない

子供が自分でダンスサークルへ近づく一歩を見守る保護者を描いたイラスト

親御さんは、子どもが怖い思いをしないように守りたい。

失敗して落ち込まないように。恥ずかしい思いをしないように。まだ早いなら、もう少し待った方がいいと思う。

その氣持ちは悪くない。大事な子どもやから、できるだけ傷ついてほしくない。

でも、先回りして怖さを全部片づけると、子どもが自分で確かめる機会までなくなることがある。

  • 「怖いならやめとこう」と、やりたい氣持ちまで止めていないか。
  • 失敗しない方法を、始まる前から教えすぎていないか。
  • できたかどうかだけで、挑戦の一歩を見落としていないか。
  • 子どもが見ている時間を、「何もしていない」と決めていないか。

守ることと、可能性を小さくすることは同じちゃう。

子どもが「怖い」と言ったら、すぐ答えを出さずに聞いてみる。

何が怖いんやろ。どこまでならやってみたいんやろ。今日は見るだけにするのか、誰かと一緒なら入れるのか。

本人も分からないことがある。それでも、自分の中を見る時間になる。

大人の役目は、怖さを奪うことではなく、やってみたい火が消えない大きさへ挑戦を整えること。

終わった後も、「勝った?」「できた?」だけで聞かなくていい。

どこが一番ドキドキした? やってみたら何が違った? もう一回やるなら、どこから入りたい?

その問いで、経験が子どもの中へ戻っていく。

怖かったけど入れた。思ったより音が聞こえた。相手を見たら楽しくなった。途中で止まったけど、最後までその場にいられた。

結果だけでは見えない成長が、言葉になっていく。

大人が先に成功の形を決めないから、子どもは自分の今日の100点を見つけられる。

その積み重ねが、「次は自分でやってみる」へつながるんよ。

獅子会で伝えたい「怖い、でもやりたい」の正体

怖さを抱えながら自分でダンスサークルへ入ることを選んだ子供を描いたイラスト

獅子会で子どもたちを見ていると、成長の前にはよく小さなドキドキがある。

初めて輪へ入る。初めて知らない曲で踊る。初めて少し上の子と向き合う。

何も怖くない子だけが伸びるわけちゃう。

むしろ、怖さを感じながらも、その奥にある「やってみたい」を自分で見つけた子は強い。

怖くないから進めるのではなく、やってみたいものがあるから、怖さと一緒に進める

これが、俺の考える挑戦やねん。

無理に勇氣を入れるんちゃう。怖がる自分を消すんでもない。

大きいお姉ちゃんの踊りを見て、あれをやりたいと思う。音を聞いて、輪の近くへ行ってみる。仲間の声で、半歩だけ前へ出る。

子どもの中にある火は、大人がつけるものではない。触れたものによって、本人の中からつく。

せやから、何に触れるかが大事になる。

自分より少し先を進む人。失敗しても戻る人。勝っても負けても、相手と音楽を楽しむ人。

そういう人や場に触れると、「怖い」の奥から「でもやりたい」が出てくる。

その火がついたら、子どもは自分から見る。覚える。試す。失敗して、また考える。

教えられたから動くのではなく、自分が近づきたいから動く。

これが、学びの根っこやと思う。

もちろん、毎回前へ出られるわけではない。今日は見て終わる日もある。直前でやめる日もある。

それでも、その場に触れたことは身体に残る。

次に同じ音を聞いた時、前より少し近くへ行けるかもしれへん。前は見ていたお姉ちゃんの動きを、自分の身体で一個だけ試すかもしれへん。

在れば成る!

その子が今いる場所、その子の中にある怖さもワクワクも、まずそのまま受け取る。

そこから、手を伸ばせる挑戦を一個作る。

火を消さずに、でも無理に燃やさずに。子どもが自分の足で輪へ入る瞬間を待つ。

その一歩から、その子のダンスが始まる。

全部、お陰様。

獅子会のレッスンを、詳しく見てみてください。

現在の案内や参加までの流れはトップページにまとめています。

獅子会の詳細ページを見る

最新の案内は詳細ページでご確認ください。

SHIGE_SDS