子供のダンスは空間の使い方で変わる理由

獅子会のSHIGE_SDSです。
みなさん、子どもがバトルや発表で踊る時に、「もっと空間を使ったらいいのにな」と感じることないですか?
- いつも真ん中だけで踊っている。
- ジャッジや正面だけを見ている。
- 大きく動いているのに、なぜか踊りが広がらない。
- 相手がいるのに、自分だけで完結しているように見える。
この見方は悪くない。むしろ、かなり大事やと思う。ダンスは身体だけでなく、場の中で起きているものやから。
でもな、ここに一つ落とし穴がある。
空間を使うと聞くと、端から端まで走ることやと思われがちやねん。前に出る。横に行く。大きく動く。もちろん、それも一つの使い方ではある。
でも俺の定義では、少し違う。空間を使うとは、自分と場と相手の関係を意識して、そこに道を描くこと。
ここやねん。
前回の立ち姿の話で言うたら、立つところからもうダンスは始まっている。ほな、その次はどこへどう動くのか。どの道を通って、誰に向けて、どんな空気を残すのか。
今日は、子供のダンスが空間の使い方でどう変わるのか。技の数ではなく、立ち回りと場の見方の話をしていく。
空間は床の広さじゃなく、場との関係
レッスンで子どもたちを見ていると、真ん中に集まりやすい子が多い。これは自然やと思う。真ん中は安心する。鏡も見やすい。先生の正面にもなりやすい。
でも、ずっと真ん中だけにいると、踊りが一点で終わってしまうことがある。
空間というのは、床の広さだけちゃう。前、後ろ、横、斜め。相手。ジャッジ。見ている人。仲間。壁の向こう側にある氣配。そういう全部を含めて、場なんよ。
だから、広いスタジオにいるから空間を使えているわけではない。狭い場所でも、場を感じている子は空間が広く見える。
これ、面白いやろ??笑
同じ一歩でも、自分だけの中で踏む一歩と、相手との距離を感じて踏む一歩は全然違う。音だけを聞いている一歩と、場の空気まで感じている一歩も違う。
子どものダンスが急に広がって見える時って、手足が大きくなっただけちゃう。意識が外へ開いた時なんよ。
自分の身体の中にいる。でも、自分だけに閉じていない。この状態ができてくると、踊りの空気が変わる。
同じステップでも、道が変わると別物になる

レッスンで、チャールストンを使いながら「道」の話をした。チャールストン自体は同じ。でも、通るコースを変えるだけで、見え方が全然変わる。
丸く行く。8の字で行く。真ん中を通る。相手に寄ってから引く。奥へ下がってから前に出る。
やっていることは、めちゃくちゃ複雑な技ではない。歩いているようなもんやし、音に乗っているだけにも見える。でも、そこに道があると、急に踊りになる。
俺はよく、でっかい絵を描くみたいに考える。
床に本当に線があるわけではない。でも、自分の中には線がある。点があって、点がつながって、線になる。その線が、その子の踊りの道になる。
どこから出るのか。
どこを通るのか。
どこで見せるのか。
どこへ帰ってくるのか。
この道が見えてくると、同じステップでも意味が変わる。コースが変わるだけで、技そのものの見え方が変わる。
逆に、道がないまま動くと、全部がその場その場になる。本人は一生懸命動いている。でも見ている側には、どこへ行きたいのかが見えにくい。
ダンスは、足を出すだけではなく、道を描くこと。ここを子どものうちから感じられると、踊りの伸び方が変わってくる。
真ん中だけで踊ると、踊りが平らになる
真ん中で踊ることが悪いわけではない。真ん中は見せやすいし、技も出しやすい。バトルでもショーでも、真ん中でしっかり見せる時間は必要やと思う。
でも、真ん中だけで終わると、踊りが平らになることがある。
前に出るだけでも違う。少し引くだけでも違う。斜めに入るだけでも違う。奥行きが出ると、踊りに景色が生まれる。
ここで大事なのは、広く走り回ることではない。前に行きすぎて詰まる子もいるし、勢いだけで自分のスペースを潰してしまう子もいる。
そうなると、動いているのに踊りづらくなる。
空間を使うというのは、場所を取りに行くことちゃう。自分がどこに立つと一番見えるのか。どこで技を出すと伝わるのか。どこで引くと次が生きるのか。
これを感じることやと思う。
景色。これやな。
踊っている本人の中に景色があると、見ている側にもその景色が伝わる。真ん中で全部を終わらせるのではなく、前後左右にある空気まで使う。
その感覚が入ると、子どもの踊りはただ元気なだけではなくなる。場を動かし始める。
ジャッジだけに踊ると、相手を置いてけぼりにする

バトルになると、ジャッジに見せたい気持ちは出る。そりゃそうや。見てもらう場所があるし、評価される場所でもある。
でも、ジャッジだけに踊ってしまうと、相手が置いてけぼりになる。
相手がいるのに、相手を見ていない。相手に向けて踊る時間がない。全部が正面やジャッジに向いている。
これを見ていると、俺はたまに思う。
お前、ジャッジと踊ってんのか。
相手、そこにおるやん。
強い言い方やけど、ここはほんまに大事。
バトルは技の点数だけではない。相手がいて、場があって、見ている人がいて、その中で起きるコミュニケーションでもある。
ストリートダンスのバトルは、もともともっと直接的な勝負の空気から来ている部分もある。今は安全に、ルールの中で、文化として楽しむものになっている。だからこそ余計に、相手を無視したら空気がしらけるんよ。
相手がいるなら、相手も空間の一部。
ジャッジにも見せる。相手にも向ける。周りにも氣を配る。全部を同時に完璧にやれという話ではない。でも、どこか一つだけに閉じると、空間は急に狭くなる。
顔を一瞬向けるだけでも変わる。身体の角度を少し変えるだけでも変わる。相手に「見てるで」と伝わるだけで、場がつながる。
ここが立ち回りなんよ。
顔と目線だけで、空間はつながる
空間の話をすると、大きく移動することばかり考える子がいる。でも、顔と目線だけでも空間は変わる。
こっちを向いて踊っている。そこから一瞬、相手を見る。もう一回、ジャッジへ返す。後ろの空気を感じてから、前へ出る。
それだけで、見ている側の受け取り方は変わる。
顔には力がある。目線には道がある。どこを見ているかで、その子が何とつながっているかが見える。
ただし、キョロキョロすればいいわけちゃう。忙しく見えるだけになることもある。大事なのは、見ることではなく、意識が向いていること。
氣配りって言葉があるやん。これ、ダンスにもあると思ってる。
自分の身体の氣。音の氣。相手の氣。場の氣。見ている人の氣。それを全部感じながら、今どこに自分を置くか。
これができる子は、ただ上手いだけではなく、場の中で存在感が出る。
大げさな表情を作る必要はない。目力を無理やり出す必要もない。ちゃんと感じている子は、それだけで伝わる。
ここも、氣合いと一緒やな。入れるものではなく、合っている状態。目線も同じ。作るより、合う。
出てくる前から、もう踊りは始まっている

バトルでも発表でも、踊り始める前の入り方で空気は変わる。
普通に出てきて、はい踊ります。これでも踊れる。でも、音に乗りながら入ってくる子、道を決めて入ってくる子、相手との距離を感じながら入ってくる子は、もうその時点で違う。
踊り出してから急にスイッチを入れるのではなく、出てくる前から場に入っている。
これ、前回の立ち姿の話にもつながる。立っているところからもう始まっているなら、歩き出すところも当然始まっている。
どこから入るか。どの角度で入るか。どの距離で止まるか。どのタイミングで相手を見るか。
この小さい選択の積み重ねが、その子の踊りを作る。
本氣って、難しい顔をすることではない。自分で決めて、今の状態を明らかにして、その場にちゃんと入っていくこと。
出てき方を見たら分かる時がある。あ、この子は今から何か見せようとしているな。あ、この子はまだ自分の中に入れていないな。
それは責める話ちゃう。そこに氣づけたら、次の一歩が変わるという話やねん。
全部使いに行くんじゃなく、全部を意識する

ここ、めちゃくちゃ大事。
空間を使うと言うと、全部の場所へ行けばいいと思う人がいる。でも、そうではない。全部を使いに行くのではなく、全部を意識する。
ここを間違えると、踊りが散る。あっち行って、こっち行って、前に出て、後ろに下がって、結果的に何を見せたいのか分からなくなる。
でも、本当に空間を分かっている人は、その場に立っているだけでも後ろの空間が生きている。横に動かなくても、横が死んでいない。前に出なくても、前との距離が見えている。
空間を全部意識している人は、動きが少なくても広く見える。
これが面白いところなんよ。
壁の方。後ろの空気。相手の向こう側。応援してくれている人。ジャッジ。仲間。全部が場の中にある。
その全部を受け取るには、器がいる。大きなエネルギーを受け取る器。相手の圧を受ける器。場の空気を感じる器。
獅子会で身体の土台や立ち姿を大事にするのは、ここにもつながる。器が小さいまま大きな場へ出ると、自分だけでいっぱいいっぱいになる。
でも器が育ってくると、自分の中にいながら周りも感じられるようになる。これが、空間を使う土台やと思ってる。
親が見る場所が変わると、子どもの踊りも変わる
親御さんが子どものダンスを見る時、技ができたかどうかは分かりやすい。音に合っているか。止まれたか。回れたか。振りを覚えたか。
もちろん、それも大事。でも、空間の使い方を見るなら、もう少し違う場所も見てほしい。
- 踊り出す前に、場に入っているか。
- 真ん中だけでなく、道を描こうとしているか。
- 相手や周りを置いてけぼりにしていないか。
- 終わったあとに、空気が少し残っているか。
これらは、点数にしにくい。動画で見ても、一回では分かりにくいかも知れへん。
でも、ここを見られるようになると、子どもの成長の見え方が変わる。
今日は技は決まらなかった。でも、出ていき方が変わった。今日は勝てなかった。でも、相手を見る時間が増えた。今日は大きく動けなかった。でも、引くことで奥行きが出た。
それも、その日の100点やと思う。
大人が見る場所を変えると、子どもは自分の変化に氣づきやすくなる。
「もっと大きく動きなさい」だけではなく、「今の入り方、場が変わったな」「相手を見た瞬間、空気がつながったな」と言えるようになる。
それは、子どもにとって大きい。自分の中で起きている小さい変化を、ちゃんと見てもらえるからやねん。
獅子会で伝えたい立ち回りの正体
獅子会で伝えたい空間の使い方は、勝つための小手先の作戦だけではない。
もちろん、バトルで勝つための立ち回りもある。どこから入るか。どこで見せるか。いつ相手を見るか。ジャッジにどう届けるか。そういう作戦も大事。
でも、もっと奥にあるのは、場の中で自分がどう在るかという話やと思ってる。
自分の道を描く。でも、相手を置いていかない。自分の踊りを見せる。でも、ジャッジだけに閉じない。自由に動く。でも、場の空気を無視しない。
これ、ダンスだけの話ちゃうんよ。
人生でもそうやと思う。自分の道を行くことは大事。でも、自分だけ見ていたら周りが見えなくなる。誰かの評価だけ見ていたら、目の前の相手を置いてけぼりにする。
道を描く。場を感じる。相手を見る。自分のゼロに戻る。
この順番が身体で分かってくると、踊りも生き方も少しずつ変わってくる。
為せば成る。この言葉も大事。でも俺は、獅子会ではこう言ってる。
在れば成る!
空間を使う前に、まず自分が在る。自分が在るから、道を描ける。道を描けるから、相手とつながれる。相手とつながれるから、場が動く。
子どもが本当に変わる時って、急に大技が増えた時だけちゃう。
出てき方が変わった時。相手を見るようになった時。奥行きを感じた時。自分の道を描き始めた時。
そこから、踊りは変わる。
何に触れるか。どこに身を置くか。誰と出会うか。
獅子会という場で、子どもたちには、技の手前にあるこういう学びに触れてほしいと思ってる。
全部、お陰様。
SHIGE_SDS
